画家清野克己氏の記憶

日本抽象美術系の代表的団体であるモダンアート協会で設立当時から活躍した上山出身の画家・清野克己氏。なぜか最近よく生前の氏のことを思い出す。
「清野克己画業55年展」と題した展覧会が、1988年5月、山形美術館と上山城の2館同時開催で開かれた時、ポスターなどの制作依頼を受け何度かアトリエにお邪魔した。それと、また別に、雑誌のインタビュー記事掲載のための収録にもお伺いした記憶がある。展覧会の十日ほど前だったかお邪魔したとき、氏は、間近になった大展覧会については何も語らず、新しく考え出したという技法について私に嬉しそうに話していた。通常なら神経が高ぶり、プレッシャーで平常心ではいられなくなるだろうに……と、私は妙に感心してしまった。想うに氏の頭は、先へ先へと作品のイマジネーションを歩ませていたのだろう。それは氏の言うアブストラクト・アートという方法からくる創作態度というよりは、もっと自然に、むしろ氏自身の資質によるような印象を私は直感的に受けた。
そして後日、会場となっていた山形美術館、上山城とまわって、気がついた。いつも新しい技法の実験を繰返している氏ではあっても、55年間の作品の流れを一気に鑑賞すると、整然と時期を区切って作風が変化しているのであった。つまり日々の実験がそのまま作品として残されるのではなく、その方法を開花させるまでの時間の重さを感じさせられることとなったのである。しかも意思的に、変化はむしろ断絶として呈示されているようにみうけられた。やはり思い付きではなしえない軌跡であることを知った。抽象画を得意としながら、あらゆる絵の基本はデッサンであると言い続けた氏の、堅実な歩みを楽しませて頂けた。そして抽象を支えているのが氏の素朴な叙情であることも発見出来たような気がした。いま、なぜか、記憶がよみがえる。

清野克己略歴
1916(大正5年) 山形県上山市に生まれる
1934(昭和9年) 山形県立山形中学校卒業
近代洋画研究所(アバンギャルド・バンチュール・アカデミー)に入所。
4年間 藤田嗣治、野間仁根の両先生に師事
1938(昭和13年)自由美術第1回展に入選
1952(昭和27年)モダンアート設立と同時に出品
1956(昭和31年)モダンアート協会会員に推挙され、審査員として審査にあたる
1960(昭和35年)第16回県展に於いて県展賞(最高賞)を受賞
1962(昭和37年)東京国際ビエンナーレ展に日本より選抜出品
1979~1987  個展多数                                   1988(昭和63年)「清野克己画業55年展」山形美術館と上山城の2館で同時開催
1995(平成 7年) 10月 永眠

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