「フェイスブック」に思う

 信頼しているとある青年から「お友だちリクエスト」を頂き、「承認」ボタンをクリックして始まった小生の「フェイスブック」。いま、はたと「フェイスブック」って何だろうという疑問に直面している。まめな方々は日々、写真やブログを更新し、さまざまな情報を投稿し続けているのだが、明確な目的意識をもってやられている方々は別として、どう受け止めたらいいのかわからないというのが本当のところだ。
 かつて、隣同士の女子生徒が携帯メールでコミュニケーションをしているという話を聞いたことがあった。どうして直接話さないのだろうと不思議に思って、その話をしてくれた知人に尋ねると「直接話すと傷つくかもしれないところも、携帯メールというツールを一旦介すと、自分も相手も客体化され、直接的な関係を擬似的に第三者化できるから」と。なるほど、それだけ逆から考えれば、直接的な人間関係を構築することが恐れや怯えになっているということなのだろうか。
 全く知らない人から「お友だちリクエスト」が舞い込む。それはそれでいい。しかし自己紹介やどうしてリクエストを下さったのかの言葉も添えられていない。いきなりとなれば、これはスルーするしかあるまい。擬似的なネットワークに過ぎないフェイスブックの本質がそこから透けて見えてくるように思う。フェイスブックも先述した女子生徒の話の延長線上にあるとすれば、やはりアナログ気質から抜け出せないでいる小生には、やはりそぐわないツールと言えるかもしれない。人間関係の質は、仮に全世界に知人友人が何人いようと、あくまでも1対1の実体が基本だろうと思う。
 一方、フェイスブックやツイッターが世界を変えるようなムーブメントを支えている現象も現に起きている。どう考えたらいいのかいっそう難しいし、わからない。

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