金子萬嶽の謎

 上山・経塚山文学散歩道に金子萬嶽の句碑が建っている。萬嶽は享保14年(1729)上山に生まれ、寛政6年(1794)江戸に出て、麻布広尾野に草庵を結び、俳人となった人物である。
 『上山市史』中巻・第六章に「藩の重職にあった金子六左衛門清英が職を辞して野に下り、古調庵萬嶽と号して俳諧の宗匠となり…」と記されている。他にも郷土史関係の資料にはけっこう多く紹介されている人物で、松尾芭蕉の門人でもあったらしい。また、幕末上山藩の名士・金子与三郎の祖先にもあたる。
   
   近よれば見うしないけり山ざくら  (注・現代仮名づかいに改め)

 これが経塚山文学散歩道の碑に彫られた句である。

 金子六左衛門清英は何故に藩の職を辞し野に下ったのか、興味をそそられる。政争に辟易してのことだったのだろうか。しかし、それにしては、異例のこととして再び藩に呼び戻され要職に就くことになる謎は解けない。洒脱で、虚無的な感じさえ与える不思議な句が謎をいっそう深めている。ふと読む人の心に温ったかいものを与えてくれると同時に、放棄や断念の匂いも放つ、怪しげな句であるようにも読める。

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