郷土の歴史について

 戊辰戦跡を巡って長岡市と小千谷市に行ってきた。驚いたことに、長岡市内には「河井継之助記念館」のみならず「北越戊辰戦争伝承館」という立派な施設があり、そこでは、ジオラマ上で長岡城攻防戦の全貌を音声入りで学習出来るようになっていた。そのほかにも、市内にはさまざまな碑や史跡があり、それぞれに標識や表示板も完備し、訪ねる者は不満を感じることなく巡回出来るようになっていた。ほんとうに先人の歩みや郷土の歴史を大切に考えている行政の姿勢がうらやましくさえ思えた。

 小千谷市にある慈眼寺は、新政府軍より会津攻めを命じられた長岡藩家老河井継之助が、長岡藩の中立を守り、戦争回避を訴えるため、慶応四年(一八六八)五月二日、新政府軍の軍監岩村精一郎をたずね直談判した場として知られた寺である。結果は、河井の願いは岩村に一蹴され決裂したことは周知のことである。それもそのはず、十日以上も前の四月二十日の時点で黒田了介と山縣狂介による「作戦計画ノ一般方略」によって既に「長岡城ヲ攻撃スベシ」と決められていたのである。

見学には事前予約が必要であったことを不覚にも認識せず現地に到着してしまった小生ではあったが、ご住職のご厚意で、突然の訪問にもかかわらずこころよく部屋に案内して頂き、ありがたかった。

最後に廻ったところは新潟市の「北方文化博物館」。これには驚いた。比喩的に言えば、「旧〇〇家住宅」という施設は全国各地に沢山あるわけだが、それらをまとめてひとつにしたような、豪農とはいえ、想像を絶するスケールの「超特大住宅」兼博物館であった。解説によると日本で最初の「私設博物館」とのこと。いや〜、凄いところって、いっぱいあるんだなぁと実感。

今回の旅も、最後はちょっと小雨がぱらついたものの、天気予報の〈雨・強風〉をみごと裏切って、お天道様のおかげで、快適に散策を楽しむことができた。くわえて、行く先々で、皆さんに親切にして頂き、ほんとうに稔り多い旅となった。感謝したい。

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