詩:無言歩行の唄—2012年

この詩を最初に書いたのが1976年だから、それから36年になる。毎年読み返し、その時々の心象で改稿したり、削除したり、加筆したりしている。2012年のどんづまりの時期に2012年ヴァージョンを掲載させていただくが、この36年、筆者の心象世界はあまりにも変わらない。そのこと自体、良いことなのか、悪いことなのか、自分には皆目わからない。

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無言歩行の唄ー2012年

在るか無いか分からない かすかなぬくもりの幻影に 誘われ 全世界に対する一方通行の言葉を 不器用に 舌先に載せてしまいそうな西暦2012年 できることなら すべての言葉を無言に 転位させ ニッコリと笑い ヌックと立ちすくんでいたい 誰にも罪のない おおげさな悲劇や喜劇が イメージの綻びた皮膜を滑り 日常茶飯のさりげない大切さを 断言する勇者はいない 空は猫の目のようにうつろい 風は ニヒリズムを映し出す鏡の準備で 騒がしい 修辞学を越えた無言 世界とは ひとたび躓いたら 落下の 永久運動を強いる見えないスロープのようだ

カタン カタン
雪を呼びそうな気配に
歳末商戦をひかえた商店街の看板がなじられ
寒そうに
行き交う者は
急ぐ
ポケットの中で手に触れている
小銭と無言
半透明の吐息と
混濁する繁華街のネオン
艶っぽい化粧の予感をかわし
どこに
急いでいるのですか

雑踏の匂いを 占星術師の繰り言にゆだねてはいけない 生まれたままの五感で 一瞬のうちに 掬いとれ 無言を そして世界の心音を 知的なサロンより 何事もない時間を 歩め 魔術的なレトリックに 憧憬の ときめきを感じてしまうことがあれば それは壮絶な危機の 始まりである 無言から遠くへだたった 錯乱である 悲劇や喜劇を 大時代的な 他人事として観ていられるうちは 同情の貨幣と 底抜けの善意があれば それで良かった すれ違い ねじれ 拒絶 死 これらがもし 生を飾りたてる仮面なら 鈍く光るネガの画像を 得も言えぬ視線で 眺めていよう

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