旧磐城平(いわき市)行

4月21日、大雪に阻まれ、会場(いわき市立美術館)まで到達できず挫折していた「安藤信正展」見学。再度お誘いをいただき、一昨日(5月10日)、やっとその念願を果たすことができた。旧磐城平藩の藩主であり、攘夷派のテロが横行していた1860年代に外国奉行、そして老中をつとめ、徳川家茂と和宮の婚儀(通称:公武合体)=「和宮降嫁」という歴史的な難業をやりとげた人物。そして攘夷派の槍で背後を突かれ負傷=坂下門外の変(文久2年:1862)によって失脚に追い込まれた安藤信正の偉業の数々をあらためて知ることができた。イギリスの医師・外交官で初代の日本総領事公使だったオールコックは、著書『大君の都』の中で、負傷しながらも幕府の権力者として意地を見せた信正の姿に感嘆した、と記している。開国・開明派に対するテロ=天誅が横行していた状況下で、安藤信正はドイツ(当時はプロイセン:プロシアとも表記)オイレンブルグ家との交流を通じ、いうなれば日独交流の道筋をつけているのである。150年前のことになる。

展示そのものは安藤家に伝わる貴重な「書」「絵画」「茶道具」「古文書」、プロイセンから贈られた「銀皿」や「プレート」等々約50点。そして楽しみはそればかりではなかった。以前資料調査でお世話になった旧磐城平藩士の末裔たちによって組織されている「平安会」のメンバーから4人(彼らはいま最近発見された16冊にも及ぶ旧磐城平藩の戊辰戦争に関する資料を翻刻し出版する作業をされている)、それに安藤信正の子孫である第16代当主・安藤綾信氏(横浜市在住)、皆さんで過分なる歓待をして下さったのである。恐縮この上ないことであった。

安藤綾信氏はいろんな話を惜しまずに聞かせて下さった。書物ではなかなか得られない、安藤家に伝えられている阿倍仲麻呂を祖とするルーツのこと、氏が現在なさっている茶道の仕事のこと、信正の外交手腕を中心とした幕末期の貴重な秘話。現在も続けられている徳川宗家とのお付き合いのこと等をまじえ、皆さんとの楽しい歓談は4時間にも及んだのである。こんなに親切にしていただいていいのだろうかと思いながら、必ずやこのお返しをしなければと心に刻み、戻ってきたのである。まさに収穫は無限大であった。

それにしても、これだけ素晴らしい特別展にもかかわらず観覧無料(主旨から言って本来はそうらしいが)ということ自体にも驚くが、フルカラーでしかも観音開きの贅沢なパンフレット(展示品の写真も多数掲載)まで無料で用意して来館者サービスにつとめる「いわき市立美術館」の蛮勇に近い営為には感動を覚えた。と同時に文化や芸術に対する市当局の姿勢にも素直に拍手をおくりたい、そんな特別展であった。

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