5.26:東善寺行〈小栗まつり〉

「小栗まつり」に行くことができた。ラスト・サムライ小栗上野介忠順の命日(旧暦:閏4月6日)前後の日曜日に、毎年開催されているイベント(墓前祭)である。群馬県高崎市倉渕町権田にある会場の東善寺までは、休みながら行くと上山から車で約5時間半(高速道)、片道おおよそ400キロメートルの道中である。去年から始めた小生の幕末もしくは戊辰戦跡めぐりの旅だが、またしても(本当に雨にあったことがない!)お天道様に加護されて好天下のすばらしい旅となった。

倉渕小学校のグラウンドが仮設の駐車場となっていて、地元の関係者総出で誘導や案内に追われている様子だった。そこに車を停めさせていただき、徒歩で約7分、いよいよ東善寺である。まず、境内に入ると目の前には家臣たちの墓がずらりと並んだ風景が目に入る。そしてその真ん中に小栗の碑が建っていた。ただし、墓は、そこから山道を2分ほど登ったあたりに静かに建っていた。手を合わせたあとふたたび戻り、参道を歩き始めるとすぐ右手に小栗の遺品を展示する小さな「遺品館」があり、参道を挟んだ向かい側には小栗忠順と栗本鋤雲の胸像が、並んで建っていた。


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ようやく念願の「東善寺」の扁額をこの目で実際に見る事ができた。境内には数々の露店がならび、「まつり」の開会の時間を待っていた。そのなかに住職村上泰賢氏の姿があり、お忙しいところ、訪問の挨拶をさせていただいた。氏は本堂の中の観覧をすすめてくださり、日米修好通商条約批准書交換のために渡米したときの船艦ポウハタン号の模型など、さまざまな遺品や資料を拝見させていただくこととなった。

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それにしても地域に根ざし、未だに遺徳が偲ばれている150年前のサムライ。新政府軍に、罪なく、裁判もなく斬首された悲運の幕臣。将来の国のあり方を想い、日本の近代化のための基礎をいろいろつくりあげた小栗上野介忠順。安らかに眠ってください……と心の中で祈り、語りかけ、帰途についた。

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