味わうとか、愉しむとか。

文学に限らずいろんな世界がいまや「賞とりゲーム」の坩堝のような観を呈している。

「文学賞」にノミネートされなくとも、売り上げランキングに上らなくても、味わったり、愉しんだりするための対象としては充分なのに、「◎◎賞受賞」というレッテルの蔭におされて見向きもされない。象徴的に言ってのことだが、人間の価値についても似たような様相になってきている。いわゆる「著名人・有名人・スター・タレント・アイドル」という国民的符牒だ。もっともっと身近なところにも素晴らしい人間はたくさんいるはずなのに、あまり見向きもせず、関心はもっぱら、実はどういう人間なのかもまったく分からないはずの「著名人・有名人・スター・タレント・アイドル」に向かっていくのである。こんな空虚な風潮はいつごろから始まったのだろう。

サッカーも、2年でJ1に昇格させられない監督は不要だと言う。上がってからずっとJ1のステージで戦えるチームにしようとしていたのに、どうして急ぐんだろう。歴代監督の中でいちんばん観戦していてワクワクするサッカーを実現してくれたのに……。次の監督が奥野監督よりすごい力をもっている保証はどこにあるのか。せっかくモンテ史上初めて、点のとれるチームにしたのに……。来季1年かけて、監督とコーチ(奥野・相馬)の本職である守備を万全に仕上げれば、それでよかったのに、そう思っていたのに、残念、寂しい限りである。

さまざまな作品も、人間も、うわべのレッテルとは無縁に、もっと内容や文体を味わうとか、スポーツも星取り勘定だけでなく、ゲーム自体の醍醐味を堪能するとか、あるいは身近にいる素晴らしい人間たちの人柄に感じ入る、そんな余裕を、持ちたいものである。

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