江戸時代最後の元号は「延壽」?

江戸時代最後の元号は、はたして「慶應」なのだろうか?   戊辰戦争時「東日本政権」(もしくは北方政権)が樹立され、新しい帝・輪王寺宮公現法親王が即位し、元号を「延壽」としたという記録が残されている。「大館戊辰戦記(大正8年刊)。史実ならまさに驚きである。

慶応4年(1868)8月22日の出来事、つまり盛岡藩(南部藩)と秋田藩の戦闘に関わる秋田藩側(新政府軍側)からの二人の証言を筆記したもののようである。

「【山本八十吉翁談話】…略…大館落城し、比内は敵の蹂躙する所となりぬ、敵将、楢山佐渡(盛岡藩家老・最高司令官—引用者註)は扇田村に於いて、今より『延寿元年』と年号の改まり、且つ向かう三カ年間の貢租を免ずる旨を伝達せられしとぞ…略…(文中の「比内」「扇田村」はいずれも現在は大館市に属している。—引用者註)」

「【越前慶吉翁曰く】落城後、敵将は大館附近親郷肝煎等を大館に招集して、三カ年の貢租を免する旨、その他大いに盡力せらるゝ様申渡され、予は当時、その場に在りて親しく實況を知悉せり。」

はたして史実はどうだったのだろう。興味は尽きない。

もう少し補完してみる。

奥羽越列藩同盟が、慶応4年(1868)6月16日に樹立したと考えられる「東日本政権」の閣僚名簿も、現在までのところ3点見つかっているという。その一つは菊地容齊資料、もう一つは蜂須賀家資料、そして郷右近馨氏資料である。『天皇の伝説』(東武皇帝:戊辰戦争に消えたもう一人の「天皇」/逸見英夫著)に掲載されているうちの一点・最も簡素な郷右近馨氏資料を転載してみる。

◎閣僚名簿  東武皇帝:輪王寺宮公現法親王  関白太政大臣:九条道孝  執柄:醍醐忠敬  〃:沢 為量  権征夷大将軍:伊達慶邦  総副将軍兼総裁:松平容保  越後口奸賊防衛:上杉斉憲  出羽探題兼守護:佐竹義堯  領軍事総裁:竹中重固  海軍総裁:榎本武揚

参考文献/『天皇の伝説』(1997年 主婦の友社) 『近代日本史の新研究1』(1981年 学文社) 『別冊歴史読本 皇位継承の危機』(2005年・5月25日号)など

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