書肆犀:新刊図書2冊

井上宏子歌集『ゆかり』
2016年9月1日刊 A5判 108頁 定価/1,500円(税別)

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昭和5年(1930)2月28日 山形県東置賜郡宮内町(現南陽市)横町に生まれる。祖父は嵐田亀吉(宮内生)。祖母はやそ(旧姓結城 高畠二井宿生)。父仲蔵(旧姓岡崎 山形市南舘生)は左官屋嵐田組、母タキ(旧姓石川 長井市成田生)は髪結屋結城屋を営んでいた。

宮内女学校在学中に、国語教師にして歌人の原知一氏より誘われ、齋藤茂吉を迎えての歌会に参加。以来、宮内在住の歯科医黒江太郎に師事し、アララギ派の歌人として作歌を続ける。「小田仁二郎おぼえがき」を執筆する上で、江口文四郎の助力を仰ぐ。

堀辰雄に傾倒し、終戦直後、軽井沢まで訪ね、旅館油屋の人から療養中の堀辰雄の家まで案内してもらい、面会を実現した。

昭和27年に井上良也と結婚。昭和28年に長男達也誕生。昭和30年に宮内町吉野町で「かおる美容室」を開店。昭和35年に宮内旭町に転居。平成10年12月閉店。最後の美容師梅津けい子さんに店名「かおるパーマ」と営業に必要な道具全てを委譲。現在に至る。論考「小田仁二郎おぼえがき」をとおして瀬戸内寂聴との交流もある。(「井上宏子略歴」より)

 

万里小路譲『学校化社会の迷走』
2016年9月14日刊 新書判 362頁 定価/1,000円(税別)

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山形県立高校の英語教員として生計が維持できたことは何事にも替えがたく、この職に就いたことは宿命でもあり恩寵でもある。しかしながら、教職の道は平坦ではなく、常に壁にぶちあたって進んできたように思う。生徒への関わりのほかに教師との関わりがあるという二重構造は不思議に感じたものだ。そしてまもなく、見えないものとの関わりがあることも知った。制度としての学校である。それは、大学で教育学をかじったぐらいでは太刀打ちできぬものであった。以来、常に疑問を抱え教師の道を歩いて来たように思う。

この38年間、さまざまな教育改革が検討され、実施されてきた。しかし、たとえ学習指導要領が改訂されてさえ、変わったのは表層だけで深層における学校は変わらなかったように思う。文部省(のちに文部科学省)が掲げる理念主義に対抗する学校の現場主義はしっかりと根づいていた。つまり、建前と本音のふたつの世界があった。しかし、学校週五日制の改革案が持ち上がったとき、まちがいなく学校は変わると思った。改革案は優れて眩しかった。しかし、学校はさほど変わったようには思えなかった。なぜか? そのわけをずっと問いつづけてきたように思う。(「あとがき」より)

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