街角サロン講座「慶応4年、山形」無事終了。

8月28日(月)、平日の午後にもかかわらず、沢山の方々にお聞き頂けたこと、ほんとうに嬉しく思います。賊徒の汚名を着せられたまま、ひっそりと生きて来たであろう奥羽越の先人たちのレクイエムに、少しでも近づけたとすれば、それは自分にとって望外の喜びなのですが……。はたして自分のことばがどこまで届いているかは残念ながらまったくもって不明です。この所在の無さを埋めるべく、これからもコツコツと勉強を続けて行きたいと思っております。今後ともより一層ご教示いただけますよう心よりお願い申し上げます。

さて、今回はこんな入り方をしてみました。最初から「道草」?
はい、さっそく道草デス。(@_@;)
ジャーディン・マセソン商会 ???
清国へのアヘン密貿易で莫大な利益を得た英国の商社。清国は禁輸措置をとるが、マセソン商会のロビーストが英国議会多数派工作に成功し、利権を守るべく清国に軍を侵攻させて起ったのが天保11年(1840)のアヘン戦争だったのです。
観光スポットとなっているグラバー邸で有名なトーマス・ブレーク・グラバーはその悪しきジャーディンマセソン商会日本支社の人物。当時英国の敵であった長州藩(下関戦争)にさえ、亀山社中(坂本龍馬)を経由して大量の武器弾薬を売り捌き、かつ武力倒幕派を支援、内戦の激化を画策した……。

ここから延々2時間、さすがにのどが枯れた感じでした(笑)。      (写真提供:吉野一郎氏)

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