「加茂軍議」が開かれたまち

連休にしか動けないので、8日〜9日と新潟県加茂市の空気を吸いに行って来た。

慶応4年(1868)5月22日、会津藩の家老一ノ瀬要人からの要請を受け 、
長岡城奪還に向け、会津・米沢・長岡・桑名・村松・上山各藩の代表が集って重要な軍議がもたれた町。
この軍議は通称【加茂軍議】と呼ばれている。
また、米沢藩士雲井龍雄(本名:小島守善あるいは龍三郎)が、奥羽越列藩同盟軍を鼓舞すべく「討薩ノ檄」を起稿したところでもある。

【加茂軍議関連資料】を貼っておきますので、興味のある方は下記クリックしてどうぞ。但し、本文2頁10行目「周辺村々は幕府領で桑名藩の預かり支配地であったが、同藩は藩主松平定敬が将軍慶喜の弟で」は明らかに「藩主松平定敬が京都守護職松平容保の弟で」の誤りと思われます。是非差し替えてお読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

【加茂軍議関連資料】

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