久しぶりに “Rock Music” について

 

黎明期のロックミュージックはシャーマニズムの祭礼か?

高校生の頃、クリームやレッドツェッペリン、ジェフベックやジミーヘンドリックスなどを聴いていると、父はよく言ったものだ。
「音楽というよりなんだか訳の分らないシャーマニズムの励起状態=祭礼みたいだ」と。どのようなパフォーマンスだったのかをご存知ない方のために、当時の人気グループ Cream のライヴ映像をリンクとして貼っておきますので、興味のある方は覗いてみて下さい。

1968年Creamのライブ映像(YouTube)御覧下さい。▶

確かにこの歳になって父が言っていたことばの意味が少しわかるような気になって来た。
陶酔感のみのインプロビゼーションを、父は何かに憑かれた若者たちの祝祭のように受け止めていたのだろう。
この、ほぼ熱狂と同義と思える陶酔感の純度を上げ、個人的な狂乱をビートやドライブ感として昇華したところにこそ、ロックミュージックとしての価値=本領が見えて来るのかも知れない。

その意味では、クラッシック音楽の構成的な美、あるいは邦楽の情趣、そしてそれらの要素とアーティストのスキルによって醸し出されてくる音楽性は、明らかにロックミュージックとは一線を画している。クラッシック音楽や邦楽を散文的な感性の表現とするならロックミュージックは韻文的なそれと言えるのかも知れない。
優劣や善悪の問題ではなく、器に盛られた中身が違うのだと思う。

1960年代後半のロックミュージックは、ゴスペルやブルース、アメリカンポップスをベースとして生まれたばかりの幼子でしかなかった。
でも、エネルギーを持て余していた田舎の私たちは、そんなシャーマニズムの励起状態=祭礼に簡単に飲み込まれて行ったのだろうと思う。
閉塞感にさいなまれていた感性を、心地良く、解き放してくれるようにさえ思えたからである。

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