講演のお知らせ

テーマ/吉田大八は《勤王家》だったのか?

日 時/2019年6月15日(土)午前10時~11時30分

主 催/公益財団法人 上山城郷土資料館

会 場/上山城多目的ホール

入場料/通常の入館料のみ

昭和19年、いよいよ戦況が悪化したわが国では、さらなる国家総動員態勢の強化を目論み、さまざまな施策が実行されました。とりわけ国家総動員態勢の思想的・理念的裏付けとなる皇国史観のさらなるプロパガンダのため、その可視化への一環として、山形県でも県知事を長とする「勤皇史実調査会」が立ち上げられ、吉田大八が「勤王家」として取り上げられることになりました。そしてまとめあげられたのが幻の丸山茂著『吉田大八勤皇史実』でした。ただし、完成はしたものの、公に刊行されることはありませんでした。敗戦を迎え、「とき既に遅し」ということだったのでしょうか。ただ、天童の郷土史家で吉田大八研究の第一人者・斎藤隆一氏が丸山氏のご遺族からその原本の寄贈を受け、幸いにも著作は残っていたのです。

現在は吉田大八が自刃した妙法寺観月庵に寄贈されましたが、その前に斎藤隆一氏のご厚意により、幸いにも小生もこの一書に目を通すことができました。そしてそこから見えて来たのは、この一書の持つ時代的な意味、背景、色合いです。しかし同時に郷土史研究の学者として良心を手放すことなく、吉田大八の真の姿を描き出そうとされていた丸山氏の苦し紛れの抵抗の精神も隠れた魅力でした。

というのは、全体的な印象では「勤皇史実調査会」の意図にそった内容にまとめ上げざるを得なかった著作なわけですが、その論旨にとって不都合な、つまりそれを打ち消すような吉田大八の資料をも、両論併記のように収録しているのです。例えば大八が弟の縫殿(ぬい)に書き送った「王政復古の大号令」に対する批判の文面、吉田大八自身が幕臣に建言した「薩長打倒の方策」、「会津救済への熱望」など、勇気を持って一書の中に取り込んでいるのです。

もし、太平洋戦争が長引いていたら、国や県の校閲の段階で刊行意図にそぐわない部分は大幅に削除され、本著は〈勤王イデオロギー〉教化、さらにはその強化のための単なる宣伝本として刊行されていたかも知れません。もしそうなっていたら私たちは吉田大八の全貌を知る手がかりのひとつを失っていたかも知れません。

その丸山茂氏の著作の内容、そして天童藩が庄内藩征討の先導を強いられるに至る過程の検証をふまえながら、吉田大八勤皇家説の再考を試みたいと考えている次第です。

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