上山温泉発見についてのノート・1

かつて「羽州上山城下温湯記発見!」という記事(クリックでお読み頂けます)を、2015年4月2日付の当該ブログで書かせて頂いた。そこで、元禄15年(1702)時点で不明とされていた上山温泉発見の端緒が、明治35年(1902)脱稿の『上山見聞随筆』(菅沼定昭著)において、《鶴脛温泉の草創は長禄2年(1458)始めて発見す。白禿山は其源にして、山王山の麓に湧出るな …

続きを読む>

2017年、スタートはしたものの…

毎年、正月元旦は、公益財団法人上山城郷土資料館で開催される「新春上山城邦楽の調べ」の和らいだ雰囲気のなかで過ごすことにしている。今年でもう7年目になる。いわば博物館と言っていい郷土資料館・上山城は、それのみならず上山のランドマーク的存在、そして観光拠点としての役割も担っている場所で、そういう空間で元日早々から楽しめる邦楽のひとときはなんとも贅沢な気分を醸し出 …

続きを読む>

研究者の文体とその社会性

わが国の歴史を研究している専門的な学者や研究者は、その研究の対象としている時代や年代ごとに数多く存在している。そして研究発表も学会の機関誌(紙)や大学の紀要、また専門書の出版をとおして毎年数えきれないほど公にされている。しかし、その多くは狭いアカデミズムの中で細々と読まれ、一部のディープなムラ社会の中で流通しているというのが現状に近い。せっかくの研究成果もな …

続きを読む>

あらためて「庄内藩征討」の理由を巡って

本間勝喜氏の論文「慶応4年庄内藩の村山郡『預地』支配(上)」でその根拠を失ったかにみえる「寒河江・柴橋の米蔵から庄内藩が勝手に持ち出した新政府の財産である2万3千俵の米」説の、そもそもの出どころを調べていたが、大正6年刊の大冊『慶應戊辰奥羽蝦夷戰亂史』佐藤浩敏著(東北史刊行会刊/写真は、マツノ書店が400部限定で平成20年に復刻刊行したもの)に、もしかしたら …

続きを読む>

金子与三郎の脱藩未遂事件と吉田寅之助

上山藩士金子与三郎が脱藩を試みた折、親友中村祐右衛門に託そうとした書状の現代語訳が紹介されている。 「一書、残しおきます。御存知の通りごく懶惰(らんだ=怠けるの意:引用者註)の上、多病で大役をつとめているが君恩の万分の一にも報いることが出来ず、このままでは商人も同様で、ただただ禄をむさぼるようなものです。これによる不孝不忠の罪は免れませんが家には相続の者が無 …

続きを読む>

斗南・野辺地・函館をめぐる(2)

今日(11月9日)の函館ライブカメラを覗いたら雪景色。3日〜5日までの比較的好天の旅はまったくスリリングな日程だったことになる。 さて、11月4日、朝早く車のナビにフェリー乗場の情報をインプット。午前10時出発のフェリーだったが、乗船手続きやら何やらがあり1時間前の9時にはターミナルに着いていなければならない。不慣れな土地での運転はナビがあるとはいえ何がおこ …

続きを読む>

斗南・野辺地・函館をめぐる(1)

今年最後になるだろう「戊辰戦跡巡り気まま旅」は、斗南・野辺地・函館方面と決め、11月3日・4日・5日の3日間駆け足で廻って来た。事前の天気予報では函館方面は《雪》とのことだったが、この機会を逃せば来春まで不可能と判断し、スタッドレスタイヤを車のトランクに詰め込んでの旅となった。3日早朝、ひたすら東北自動車道を北上、三沢市にある斗南藩関連の「先人記念館」を目指 …

続きを読む>

「野辺地」行のまえに

上山藩も関わった「長岡山の戦い 」 寒河江市本町の陽春院(フローラさがえ附近)に桑名藩士19名と唐津藩士1名を合祀した墓碑がある。これは七回忌にあたる明治8年7月旧桑名藩主松平定敬と旧藩士24名によって境内に建立されたもの。 戊辰戦争の末期、新政府軍に圧された旧幕府軍および瓦解状態の奥羽越列藩同盟軍が各地で後退戦を余儀無くされ、全面降伏へと至る最終局面で起き …

続きを読む>

さて、何処にしよう?

戊辰戦跡巡り、次は「野辺地」に行ってみようかな……。 明治元年(1868)9月23日に起こった野辺地(のへじ)戦争は、たしかに奥羽越で繰り広げられた内戦=戊辰戦争の戦いの一局面ではあったが、実に奇妙な戦いであったといえる。 その前哨戦は9月10日に起こった。新政府軍による艦砲射撃であった。秋田藩の軍艦春陽丸に乗船した佐賀藩士中牟田倉之助が野辺地に駐留する南部 …

続きを読む>

go top