金子与三郎の脱藩未遂事件と吉田寅之助

上山藩士金子与三郎が脱藩を試みた折、親友中村祐右衛門に託そうとした書状の現代語訳が紹介されている。 「一書、残しおきます。御存知の通りごく懶惰(らんだ=怠けるの意:引用者註)の上、多病で大役をつとめているが君恩の万分の一にも報いることが出来ず、このままでは商人も同様で、ただただ禄をむさぼるようなものです。これによる不孝不忠の罪は免れませんが家には相続の者が無 …

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斗南・野辺地・函館をめぐる(2)

今日(11月9日)の函館ライブカメラを覗いたら雪景色。3日〜5日までの比較的好天の旅はまったくスリリングな日程だったことになる。 さて、11月4日、朝早く車のナビにフェリー乗場の情報をインプット。午前10時出発のフェリーだったが、乗船手続きやら何やらがあり1時間前の9時にはターミナルに着いていなければならない。不慣れな土地での運転はナビがあるとはいえ何がおこ …

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斗南・野辺地・函館をめぐる(1)

今年最後になるだろう「戊辰戦跡巡り気まま旅」は、斗南・野辺地・函館方面と決め、11月3日・4日・5日の3日間駆け足で廻って来た。事前の天気予報では函館方面は《雪》とのことだったが、この機会を逃せば来春まで不可能と判断し、スタッドレスタイヤを車のトランクに詰め込んでの旅となった。3日早朝、ひたすら東北自動車道を北上、三沢市にある斗南藩関連の「先人記念館」を目指 …

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「野辺地」行のまえに

上山藩も関わった「長岡山の戦い 」 寒河江市本町の陽春院(フローラさがえ附近)に桑名藩士19名と唐津藩士1名を合祀した墓碑がある。これは七回忌にあたる明治8年7月旧桑名藩主松平定敬と旧藩士24名によって境内に建立されたもの。 戊辰戦争の末期、新政府軍に圧された旧幕府軍および瓦解状態の奥羽越列藩同盟軍が各地で後退戦を余儀無くされ、全面降伏へと至る最終局面で起き …

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さて、何処にしよう?

戊辰戦跡巡り、次は「野辺地」に行ってみようかな……。 明治元年(1868)9月23日に起こった野辺地(のへじ)戦争は、たしかに奥羽越で繰り広げられた内戦=戊辰戦争の戦いの一局面ではあったが、実に奇妙な戦いであったといえる。 その前哨戦は9月10日に起こった。新政府軍による艦砲射撃であった。秋田藩の軍艦春陽丸に乗船した佐賀藩士中牟田倉之助が野辺地に駐留する南部 …

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書肆犀:新刊図書2冊

井上宏子歌集『ゆかり』
2016年9月1日刊 A5判 108頁 定価/1,500円(税別) 昭和5年(1930)2月28日 山形県東置賜郡宮内町(現南陽市)横町に生まれる。祖父は嵐田亀吉(宮内生)。祖母はやそ(旧姓結城 高畠二井宿生)。父仲蔵(旧姓岡崎 山形市南舘生)は左官屋嵐田組、母タキ(旧姓石川 長井市成田生)は髪結屋結城屋を営んでいた。 宮内女学校在学 …

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《縁は異なもの味なもの》

9月8日(木)、台風13号くずれの温帯低気圧が東北地方の太平洋側を縦断し、さすがに荒れ模様の天候となった。その日、仙台市青葉区本町にある江陽グランドホテルにおいて「東北ブロック老人福祉施設研究会」が開催され、小生は、不思議な縁が重なって「みちのくの明治維新~なぜ奥羽越は賊軍と呼ばれるようになったのか〜」というテーマで、大会の記念講演をやらせて頂く機会に恵まれ …

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姉歯武之進の眠る瑞満寺を訪ねて

今回の戊辰戦跡めぐりは、奥羽鎭撫総督府下参謀・世良修蔵(長州藩士)暗殺事件に加わった仙台藩士・姉歯武之進に照準を定め、昨日(9月4日)、墓参を果たすことが出来た。金成(かんなり)インターを下り、ナビ画面を信じながら、もうすぐ刈りとりの時期を迎える黄金色の稲穂がつづくのどかな田園地帯を走り、瑞満寺という立派な寺に到着。インターを下りてからはナビがなければ到達で …

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内村鑑三の脱亜批判

鎖国政策にピリオドを打ち開国へと舵を切ろうとしていた幕府の政策を「売国」「亡国」政策として激しくののしり、大老井伊直弼の暗殺をはじめ外国人殺傷や領事館焼き打ち、開国派公家や幕臣に対する凄惨なテロ行為を重ねていた攘夷勢力(水戸脱藩浪士・薩摩長州の激派)が、武力倒幕の謀略=戊辰戦争の勝利を経て政権を奪取するや、一転、「文明開化」だの「鹿鳴館」だのと、こぞって脱亜 …

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