「ヒトラー:権力掌握への道」

NHK・BS世界のドキュメンタリー選「ヒトラー:権力掌握への道」をみた。正直、ショックだった。 ヒトラーについてはさまざまな書物で雰囲気だけは理解していたつもりだった。しかし、小生のヒトラー理解は無知に等しいものであった事がわかった。ナチによる一党独裁の体制を確立する前の1933年、つまり連立政権時代、首相に指名されたヒトラーが議会で演説している映像と音声が …

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柳原白蓮と山形

NHK連続テレビ小説「花子とアン」で、ヒロインの親友葉山蓮子として登場して注目を集めている柳原白蓮。大正3美人の1人で、歌人としても活躍した人物として知られている。 そんな彼女は昭和30年(69歳のとき)、「白鳥会」という女性の集いに招かれて来形していることが、この度、旧家長谷川家(山形)に残っていた1枚の写真から明らかとなった。9月1日発行の「やまがた街角 …

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月岡公園の芭蕉句碑

当市月岡公園にある芭蕉句碑の建立年月(日)が明らかとなった。 初出誌「月刊かみのやま:161号(9月)」参照。9月5日アップロード予定。 これまで『上山文学散歩』(上山市教育委員会刊)および『やまがたの文学碑』(山形放送刊)で、曖昧に記述されていたが、このたび天童市在住の郷土史研究家の斎藤隆一氏によって新資料が翻刻され、新事実が明らかとなった。一足先に概要だ …

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千葉卓三郎の先見性

昭和43年、五日市(現在の東京都あきる野市)深沢家旧宅の土蔵より歴史学者色川大吉等によって発見された通称「五日市憲法草案」。この草案を作成した千葉卓三郎は嘉永5年(1852)生まれの仙台藩士で、文久3年(1863)~明治元年(1868)の5年間、仙台藩校養賢堂にて学んでいる。戊辰戦争白河口の戦いに参戦。仙台藩の降伏とともに、さらなる学求を志し、桜井恭伯に浄土 …

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激動期の〈空白〉

戊辰戦争で各地を転戦し、上山藩の恭順・降伏(慶応4年9月)時、あるいはその前後に郷里に戻ったと考えられる先祖岩井助八の戸籍を調べていて、面白い事がわかった。妻を娶り、明治2年には第一子をもうけているにも関わらず、その戸籍の婚姻に関する事項を読むと入籍「年月日不詳」とある。どうしたことかと戸籍に関する歴史を繙いてみると、いわゆる現在の戸籍に近い様式が「戸籍法」 …

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〈規範〉はありや?

ネット社会といわれる環境の中で、わたしたちは現在、何を基準として日常の行動を律しているものか、問いを投げかけてみたくなる。観念と行動を無意識のうちに左右する〈習俗〉〈習慣〉や〈法〉、さらには成長過程で身につけていくはずの〈善悪〉についての判断力や〈社会常識〉……。これらのどれもが主体の側から日々その力を弱め、危うくなってきているように思える。加えて、子どもた …

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フォーラム30周年

映画愛好者のサークル「えいあいれん」が母体となって設立されたフォーラム山形が、今年で30周年という。ということは、小生が34歳のときに産声をあげたということだ。つい昨日のことのような感じだが「思えば遠く来たもんだ」の中原中也の詩行が口をついて出る。その頃ちょうど「場」という総合誌の編集の仕事をしていて、陰ながらフォーラム設立準備の応援をした記憶がある。だが、 …

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示唆に富む一節

「…この頃(註:御一新直後)、京都・嵯峨野などで林が荒れ始めた。嵯峨野の風景が変わり始めたのである。それは、剪定などを怠り美観維持の作業が行われなくなったことに因る。御一新前にこれを行っていたのは幕府である。太政官政府の大久保利通は、陳情を受けて初めてこのことを知った。幕府は、そこまでやっていたのかと驚いたのである。大久保が政治とは何ぞやということを理解した …

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歴史研究書と文体

歴史研究書を読んでいると辛い。言語表現がなんともストイック過ぎて、血の通っている人間が書いているとは思えないケースが多い。もっと自然に、私たちが日常語を発する時の呼吸やリズム、そして感性に近いところで書いて欲しいと思う。だからと言ってもちろん、湿気を含んだ過度な感情を滲ませてはいけない。 さらに、巻末につく「註」や「参考文献」のオンパレードには呆れかえってし …

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近況2題「大八忌と偲ぶ会」

6月18日は、毎年参加させて頂いている「大八忌」のため、天童市にある妙法寺・観月庵に足を運んだ。いつも楽しみにしている講話、今年は近年見つかった吉田大八の書状のこと。近藤守利氏が2年を要して翻刻した新発見の書状で、なかなか進まない藩政改革にいらだっている若き吉田大八の心情が綴られている。そればかりではない。明和4年(1767)、山県大弐事件に連座し、上州小幡 …

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