「野辺地」行のまえに

上山藩も関わった「長岡山の戦い 」 寒河江市本町の陽春院(フローラさがえ附近)に桑名藩士19名と唐津藩士1名を合祀した墓碑がある。これは七回忌にあたる明治8年7月旧桑名藩主松平定敬と旧藩士24名によって境内に建立されたもの。 戊辰戦争の末期、新政府軍に圧された旧幕府軍および瓦解状態の奥羽越列藩同盟軍が各地で後退戦を余儀無くされ、全面降伏へと至る最終局面で起き …

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さて、何処にしよう?

戊辰戦跡巡り、次は「野辺地」に行ってみようかな……。 明治元年(1868)9月23日に起こった野辺地(のへじ)戦争は、たしかに奥羽越で繰り広げられた内戦=戊辰戦争の戦いの一局面ではあったが、実に奇妙な戦いであったといえる。 その前哨戦は9月10日に起こった。新政府軍による艦砲射撃であった。秋田藩の軍艦春陽丸に乗船した佐賀藩士中牟田倉之助が野辺地に駐留する南部 …

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書肆犀:新刊図書2冊

井上宏子歌集『ゆかり』
2016年9月1日刊 A5判 108頁 定価/1,500円(税別) 昭和5年(1930)2月28日 山形県東置賜郡宮内町(現南陽市)横町に生まれる。祖父は嵐田亀吉(宮内生)。祖母はやそ(旧姓結城 高畠二井宿生)。父仲蔵(旧姓岡崎 山形市南舘生)は左官屋嵐田組、母タキ(旧姓石川 長井市成田生)は髪結屋結城屋を営んでいた。 宮内女学校在学 …

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《縁は異なもの味なもの》

9月8日(木)、台風13号くずれの温帯低気圧が東北地方の太平洋側を縦断し、さすがに荒れ模様の天候となった。その日、仙台市青葉区本町にある江陽グランドホテルにおいて「東北ブロック老人福祉施設研究会」が開催され、小生は、不思議な縁が重なって「みちのくの明治維新~なぜ奥羽越は賊軍と呼ばれるようになったのか〜」というテーマで、大会の記念講演をやらせて頂く機会に恵まれ …

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姉歯武之進の眠る瑞満寺を訪ねて

今回の戊辰戦跡めぐりは、奥羽鎭撫総督府下参謀・世良修蔵(長州藩士)暗殺事件に加わった仙台藩士・姉歯武之進に照準を定め、昨日(9月4日)、墓参を果たすことが出来た。金成(かんなり)インターを下り、ナビ画面を信じながら、もうすぐ刈りとりの時期を迎える黄金色の稲穂がつづくのどかな田園地帯を走り、瑞満寺という立派な寺に到着。インターを下りてからはナビがなければ到達で …

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内村鑑三の脱亜批判

鎖国政策にピリオドを打ち開国へと舵を切ろうとしていた幕府の政策を「売国」「亡国」政策として激しくののしり、大老井伊直弼の暗殺をはじめ外国人殺傷や領事館焼き打ち、開国派公家や幕臣に対する凄惨なテロ行為を重ねていた攘夷勢力(水戸脱藩浪士・薩摩長州の激派)が、武力倒幕の謀略=戊辰戦争の勝利を経て政権を奪取するや、一転、「文明開化」だの「鹿鳴館」だのと、こぞって脱亜 …

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検証《戦乱、ついに奥羽へ》の流れ その2

◎奥羽諸藩の動向 会津救済にまつわる基本的な考え方(例:米沢藩の建白書) 《慶応4年3月下旬から4月中旬》「徳川慶喜が寛永寺に謹慎し、会津容保も国許で悔悟謹慎している今、皇意はすでに遠近に輝き朝憲凛然として行なわれている。願わくばこの際海の度量を以て不殺の聖徳垂れ、共にこれを寛典に処し、その宗社を存続させ、速やかに大旆を返さんことを」というもの。 米沢藩が周 …

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検証《戦乱、ついに奥羽へ》の流れ その1

慶応4年(1868)1月6日に鳥羽・伏見の騒乱が収束すると、新政府は同月10日「朝敵リスト」を公示、会津征討の準備にとりかかる。この流れをもって《戦乱、ついに奥羽へ》の端緒ということになる。 ◎主な奥羽諸藩の動向 1月17日 仙台藩に会津征討命令 その後一旦撤回 1月20日 仙台藩に改めて会津征討命令 1月25日 米沢・秋田・盛岡藩にも同命発令 2月 9日  …

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「明治維新と廃仏毀釈」、無事終了。

昨日(7月25日午前6時半〜7時半)、湯出山浄光寺(上山市)での「明治維新と廃仏毀釈」の講話、無事終了致しました。 遠く大石田から来て下さった方もおられ、恐縮至極でした。その大石田の織江尚史様(浄土真宗・浄栄寺のご住職)より、その日のうちに頂戴しましたコメントを、転載させて頂きます。 《岩井さん…………今朝はありがとうございました。初めて訪れた浄光寺さんで、 …

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天祥山保福寺に但木土佐を訪ねる

昨日(7月17日)、あいにくの小雨模様でしたが、幕末奥羽における重要人物の一人・但木土佐の墓参のため天祥山保福寺(仙台市郊外)を訪れた。 戊辰戦争(慶応4年)で、米沢藩とともに奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩。そのなかでも但木土佐は仙台藩という枠組みを越えて、同じく仙台藩士の大槻磐渓、玉蟲左太夫らとともに、奥羽諸藩の連携を主張し、諸藩合議つまり「公論」によ …

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