ありがたいことです。

11月21日付本欄で紹介させていただいた拙著『異貌の維新』(紅花書房刊)が、きょう(12月11日)の河北新報ウェヴ版、新刊レビュー「東北の本棚」に取り上げられました。正直、嬉しい限りです。これが縁でひとりでも多くの方にお読み頂けたら幸甚です。 下記をクリックして、ぜひ覗いてみてください。 河北新報レビュー「東北の本棚】 11月21日付の小生のブログを再録して …

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『異貌の維新』刊行!

古書店の紅花書房(山形市小白川町)さんが、創業10周年を迎え、それを記念してはじめて新刊本の出版事業に乗り出し、その第一弾として小生の『異貌の維新〜《奥羽越》の矜持と無念〜』を刊行してくださった。 本書は、小生がこれまで約10年間に亘って綴って来た「明治維新史」関連の拙稿をほとんど網羅しており、個人的に言えば「幕末私論の集大成」といえる内容に仕上げてくださっ …

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新政府軍と同盟軍

官軍を自称する薩長軍が、会津戦争で亡くなった会津藩兵の死体を長期間に亘り放置したというエピソードは広く知られているが、会津藩兵のみならず奥羽各地で、戦死者を貶めた例は数限りなくある。山形県内においても然りだ。山形県遊佐町吹浦字三崎に「三崎峠戊辰古戦場」がある。
秋田県と山形県の県境で、官軍(新政府軍)と「庄内藩」の軍の最後の熾烈な戦いとなった場所だ。
慶應4 …

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1,000年後を見据えて……

極私的な緊急アピール◎一人の小市民のささやかな危惧とミニマムな希い。 一昨日(2015/11/13)フランスで起こった悲しい事件を受けて、対抗・報復の終わることのない不毛な連鎖を断ち、人間の智恵のすべてを動員し、世界の全ゆる宗教、全ゆるイデオロギーの対立を、根源的に止揚しうる《新たな世界システム》の構築へむけて着手するよう、世界の良識ある指導者たちに希うもの …

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奥羽越にとって特別な日

11月2日は、奥羽越にとって特別な日である。慶応4年(1868)、東征大総督有栖川宮熾仁親王による奥羽鎮定宣言ならびに錦旗節刀の奉還が行われ、新政府による戊辰戦争勝利が高らかに宣せられた日であるからだ。裏を返せば新政府に反旗を翻した奥羽越の人々が無念を味わった日ということにもなる。朝廷の威光を利用し、恣に権力を掌握しようとしていた理不尽な新政府軍(薩長土肥) …

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小栗忠順の最期

鳥羽・伏見の騒乱のあと、江戸城内における重臣会議で薩長軍との徹底抗戦を主張していた小栗忠順は、恭順をきめた徳川慶喜から幕府の職を解かれた。そしてその時点で、「主君が戦わないと言っている以上、これからの戦いにはもはや大義がない」と最終的に徹底抗戦派の誘いを断っている。そのような状況のなか、慶応4年1月28日、三野村理左衛門が小栗屋敷を訪ね、身の危険を案じ「米国 …

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楢山佐渡と原敬

戊辰戦争において、慶応4年(1868)7月4日、奥羽越列藩同盟を突如離反した秋田藩を征討すべく、南部(盛岡)藩は8月、秋田藩に対し宣戦を布達、すかさず出陣し藩境を越えた。そしていっとき大館城を攻略する勢いであった。時の藩軍総督は主席家老楢山佐渡。そして大館を攻略したあと、楢山佐渡は周辺地域の肝煎たちを集め、元号が慶応から延壽に変わった旨、さらに年貢の減免措置 …

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近代日本初の言論弾圧?

坂本藤良著『小栗上野介の生涯』(昭和62年刊/講談社)を読んでいてちょっと面白い記事が目にとまったので紹介したい。 坂本氏の見解によると「小栗の進歩的、開明的な考え方に共鳴し尊敬していたのは、福地源一郎(桜痴)であった」という。つまり当時、小栗忠順の我が国近代化に向けた《郡県制構想》の思想を最も理解し得ていた人物として福地源一郎という名を挙げている。そこでさ …

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舟生源右衛門のその後

幕末期の新庄藩家老舟生源右衛門といってもピンとくる人は限られている。奥羽列藩同盟について関心を持っている方か、新庄市内に住む郷土史家諸氏以外、その名を知る人はそう多くはいまい。舟生源右衛門は秋田藩家老戸村十太夫同様、藩主の命をうけ新庄藩家老としてまさしく藩を代表して慶応4年(1868)5月3日白石城における奥羽列藩同盟結成調印式に臨んだ人物。 これ(下記)が …

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