結城哀草果の奇妙な呻り

 わたしが小学校高学年の頃だったと思う。父が、大沢文蔵氏、金森まさ江氏らとともに上山短歌会を立ち上げ(正確な年は調べていない)、定期的に歌会を開いていた。どこで開いていたのかはわからないが、その講師として山形からしばしば結城哀草果氏を招いていたようで、歌会(例会)が終わったあと、よく我が家に泊まったのである。たぶん会として宿泊代を節約する必要があったのだろう。もちろん幼い頃の私の記憶なので曖昧なのだが、子ども心にふたつの強烈な印象を受けたため忘れずに覚えている。その強烈な印象とは、まずは氏独特のもんぺ姿だ。しかも定番のように風呂敷包みを抱え、下駄を履いていたような気がする。女性ならいざ知らず、男性のもんぺ姿は稀というか、当時でもあまり見かけることはなかったのである。そしてもう一つは、氏が我が家のトイレに入ったときに起こる或る出来事だった。小さかった私の耳には「お〜う〜お〜・・・お〜・・・」という奇妙な呻り声にしか聞こえない氏の「声」だ。その響きが醸し出す摩訶不思議な雰囲気だった。心配になった私は父に訊いた。「具合悪そうな呻り声がするけど」と。すると父は笑って教えてくれた。「先生が歌を作っている声だから心配ないんだ」と。いまから考えれば、なるほど声を出しながら作品を生み出していたということになるのだろう。つまり声調を整えながら推敲作業をしていた訳だ。しかし、その後、現在に至るまで、実際に声を出して歌作をしている場面は結城哀草果氏のその時の記憶以外に遭遇したことはない。まさしく強烈な体験であった。そんな結城哀草果氏も、父も、もうとっくにこの世にはいない。でも、そんな氏の摩訶不思議な呻り声は、父の面影とともに残ったままである。

 付記:父について詠んだ唯一の作

   裸木(はだかぎ)の背後にありて安らげる青ひと色の穹(そら)父の面影  【1984.5作】

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