斎藤茂吉の感性曲線

昨日、歌人についてふれたので、もうひとつ。
斎藤茂吉を「歌聖」と呼ぶ人たちがいるが私にはどうも馴染めない。だれもが認めるように短歌を詠んだら天下一品、だが普段はどこにでもいるちょっとムンツンな爺さん、つまり人間茂吉、それでいいような気がするからである。作品を時系列で読んでみると、混濁した茂吉の心性と出合い、対象はなにも「短歌を詠む聖人」などではない、私たちと同じ錯綜したこころを抱える人間茂吉そのものであったからである。
もう三十年も前のことになるが、「作品に表象された色相について」という斎藤茂吉についてのささやかな論文を書いたことがあったが、そのときに読んだ茂吉作品の印象が残っていて、「歌聖」という呼称に違和感をおぼえる素地になっているのかも知れない。
話は変わるが、その知る人もほとんどいないはずの考察「作品に表象された色相について」のことを、過日、知人から不意に尋ねられ驚いた。えっ、どうして知ってるのという不意打ちに近い感触と照れくささ。ところでその拙稿の内容は、『赤光』から『つきかげ』に至る斎藤茂吉全十八冊の公刊歌集のながれに、極彩色からモノトーンへの色相的な変化を感じ取り、グラデーションのような移ろいについてどうにかして論理的にまとめてみようとしたものだった。典型化して言えば、処女歌集『赤光』から最終歌集『つきかげ』のちょうど中間点には『ともしび』という歌集があり、それを色相に還元してみると、「赤色」→「橙色」→「白色」という具合にゆるやかな弧を描いていることに思い至ったからであった。それはもしかして年齢とともに変化する表現者としての斎藤茂吉の感性の曲線に対応しているかもしれないとも思った訳である。『つきかげ』は遺作としてまとめられた歌集なので、実質的な最後の歌集として『白き山』を取り上げてもやはり晩年のモノトーンの印象は変わらない。それぞれの歌集に収められた一首一首の作品にもその傾向が内在化されていることに、『斎藤茂吉全集』(岩波書店版)を繙く作業のなかで気がつき、さすがにそのときはワクワク感を覚えたものだった。
知人からの思いがけない問いかけをきっかけに、その考えをまとめようとして悶々としていた三十年前の自分を思い出し、原稿用紙にして二十枚程度の骨皮筋衛門状態だった小論文を、改めて加筆し、なんとか再構成してみたい衝動にかられてしまった。眠っていたもう一人の自分を起こしてしまった知人はほんとうに罪つくりな人である。う〜む、いやむしろ知人さんありがとうだろうか。

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