山形新聞の夕刊にあった「文化欄」を楽しみにしていた者としては、まだまだ現在の朝刊一本のスタイルには馴染めない。一日の生活のリズムを刻んでいた朝刊と夕刊のほどよい関係が消滅してしまったいま、朝刊の中から「文化」関連の記事を探し出すのもままならない。どこにどの記事が掲載されているのか、うまく探せないのである。もちろん、紙面全部を読む習慣を持っている方からすれば甘っちょろい苦言でしかないだろうが……。夕刊の存在は、今から思うと、大きかったなぁ。
ところで、私事をひとつ。
その朝刊一本になってしまった山形新聞紙上の「やまがた再発見」シリーズに、そのひとつとして、このたび2回にわたって「大森治豊」(上山市にゆかりのある日本で最初に帝王切開手術に成功した人物)のことを書いたら、読書家の友人から思いがけない電話を頂いた。「『大森治豊』なんて名前はこれまで聞いたこともなく、はじめて知ったけど、俺にとっては『やまがた新発見』で、よかった」と言うのである。ありがたい言葉だったが、もちろん喜んでばかりはいられない、「もうちょっと柔らかく書けたらもっと良かったと思うけど」のチクリと痛い一言も。「はい、力量不足であれでいっぱいいっぱい」と告げると友人は笑って電話を切った。
それにしても新聞って読まれているんだなぁと感心した次第。電子書籍(e-Book)がどこまで受け入れられるか先が読めないなか、まだまだペーパーメディアに期待するところはやはり間違いなく大きい。