吉田寅之助・異聞 2

薩摩・長州の世になった日本=明治国家(新政府)のその後の歩みを概観すると、長州閥の支配する帝国陸軍を中軸として、朝鮮半島から満州を侵略し、カムチャッカから南方に至る広大なエリアに軍事進出して、ついにはポツダム宣言の受諾にまで至り、ある意味、いったん国家を滅ぼしたという紛れもない事実がみえてくる。

その道筋はほかでもない、「北海道を開拓し、カムチャッカからオホーツク一帯を占拠し、琉球を日本領とし、朝鮮を属国とし、満州、台湾、フィリピンを領有すべきだ。それを実現することこそが大和魂だ」とする吉田松陰が想い描いた馬鹿げた外交政策とおおむね一致する、と原田伊織著『明治維新という過ち』が教えてくれている。その意味から言えば、吉田松陰は日本軍国主義の祖であったということになろうか。

このような歴史観は衝撃的でさえある。吉田松陰が今なお祀り上げられる理由もそこにある。祀り上げなければ明治から昭和まで連綿と繰り返された日本軍国主義の拡張主義を自ら否定することにつながってしまうからにほかならない。私たちはもっと巨視的に歴史を見る眼を養う必要があるようである。

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