パソコンとソフト

最初にさわったパソコンは知人から譲り受けた Macintosh Plusというアップルコンピュータだった。モニター画面は9インチ、しかも表示はたしか白黒2値だったはずだ。「世界一高い玩具」とまで揶揄されていたシロモノだ。譲り受けたのは中古だったが、それを新品で買えば現在のそこそこの能力をもったパソコン4台分くらいの値段だったと記憶している。今から23年ほど前のことである。1976年、スティーブ・ジョブスたちがガレージで作り上げた、伝説の「apple  I 」第一号機からほぼ10年後の機種だったわけである。そのパソコンで興じた「シャッフル・パック・カフェ」というゲームが忘れられない。その後、ようやく仕事にもつかえる様になったのは SE/30 という機種で、それでもグレースケール表示で、わざわざビデオカードを交換して、外部の13インチモニターでカラー表示した懐かしい思い出もある。山形で開催されている山形国際ドキュメンタリー映画祭の第2回目(1991年開催)で発行したデイリーニューズは、その機材を持ち込んでの深夜にまで及ぶ仕事であった。第1回目(1989年開催)のときはワープロでプリントアウトした原稿をコピーで縮小・拡大し、版下に切り貼りして製作していた。なんと、懐かしいことか! それ以来使用するパソコンはずっとアップルで、現在メインとして使っているデスクトップ型が i Mac 24″(インテル C2D 3.06GHz)、ノートは Mac Book Pro 17″ (インテル C2D  2.8GHz)であるが、その他にも数台、枕許や部屋にごろごろしている。

知人は、わたしが手作業でページものの編集やレイアウトの仕事をしていることを知っていて、わざわざパソコンの便利さをプレゼンテーションしてみせたかったのだ。自分のパソコンのEG・BOOKというソフトを立ち上げ、文字や図版を配置してみせてくれた。当時、わたしは東芝製のワープロ「RUPO」を使っていたが、マウス操作で、いとも簡単に挿絵や図版を配置しながらレイアウトの出来るパソコンの魅力を、生まれてはじめて知ることとなった。ショックを受けたわたしは、パワーアップした新機種「apple  II – F X 」をさっそく購入済みだったその知人からオフルの Macintosh Plusを譲ってもらったが、ソフトそのものの稚拙さ(輸入されはじめたばかりのアメリカのコンピューターだったこともあって日本語のO.S.をインストールしていても文字を縦に組むことすらできなかった時代である)、フォントの問題やプリンターの問題などで、仕事にはまったく使えなかったのだ。しかしながら、わたしはその知人にいまでも感謝の気持ちをもっている。その時のパソコンとの出合いが、その後のわたしを決定づけてくれ、現在まで編集や出版の仕事をつないでくれることになった恩人だと思っているからである。

その後、ページ・メーカー、クオーク・エクスプレス、イン・デザイン、エディ・カラー等々すぐれたページレイアウト・ソフトが開発され、ようやく出版業界で信頼しながら使えるまでになったのである。完成度も含めてきびしくジャッジすれば日本語の組版ツールとして成熟し出したのはここ10年のことと言って良いかもしれない。現在では、インターネットやメールをはじめ、パソコンのない日常はあらゆる場面において考えにくくなってきた訳だが、たかだか20数年前までは、だれが、何のために、どう使って行くことになるのか、得体の知れない《謎の箱》だったのである。

 

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