「八重の桜」寸感−3

去る6月9日放送の「八重の桜」は、いよいよその戦乱の舞台を奥羽に移した。奥羽鎮撫総督府が仙台藩校養賢堂に置かれ、「会津藩」征討のために派遣された下参謀世良修蔵の横暴ぶりが描かれた。世良のやりかたを嫌悪した奥羽14藩(後に25藩の奥羽列藩同盟に至る萌芽)はついに結束、白石会議がもたれ、そこで世良修蔵の暗殺を決定し実行に移されるまでのシーンだ。

ドラマの流れはともかくとして、その演出で気になったことがある。その世良修蔵の描き方があまりにも[過ぎている]のだ。ご覧になった方も感じられたと思うが、あそこまで極端にカリカチュアしてしまうと、真の世良修蔵の[悪人性]が消えてしまうのである。

[悪人性]の凄さは、普通人と同様の人格であるにもかかわらず、ぎりぎりのところで特異性を生きてしまうような狂気を内包している人物にこそある。少なくとも筆者にはそう思えるのだがどうだろう。佇まいや言動においてのっけから悪人然としたキャラクターでは、ドラマのクオリティーが低下し戯画化していかざるを得まい。そんな印象をもってしまうほどの演出だったように思う。

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