抒情詩人・鈴木健太郎

明治42年5月25日、山形県南村山郡宮生村宮脇(現在の上山市宮脇)に父鈴木善三郎、母なかの長男として一人の詩人が生まれた。父は「実直に働く典型的な入婿」で、母は「『文芸倶楽部』から泉鏡花の小説だけを集め」、自分で一冊の本にして愛読していたほどの女性だったとある。なるほどと思う。彼が詩を書き始めることになったのは15歳前後から。19歳の時には「新山形」の新聞記者としてジャーナリズムの世界に足を踏み入れることになるが、不運にも社の経営不振により宮生村に戻り、21歳から24歳まで、つまり昭和元年から4年までのわずかな期間だが農業にも従事している。その後、昭和9年からは地元宮生村役場に勤務、昭和30年の町村合併によって上山市役所に移り、教育課長を退くまで公職にあった。これが抒情詩人鈴木健太郎の略歴である。
いろいろと書き連ねる前に、詩人にとって最も肝心なこと、どのような作品を残した詩人だったのか作品を引用してみよう。

     秋 日

   空 あほく
   風もなく落葉する日なり。

   障子はりかへ
   なにかしらこゝろうれしく
   ひとり目がしらのあつくなる日なり。

 もう一篇引用させていただく。

     十一月午后

   ラッパが狂つてあめ屋が
   橋の上でこまつてゐる。

   口笛を吹いて行くと
   桑畑の上に ぽつかり
   雲切れのような
   畫の月が浮かんでゐた。

2篇とも短い作品だが、何とも言えない詩人独特の単なる描写を超えた抒情の流露がある。当時の宮生村の空気感や地形そして光景が、加えて「秋日」からはふと、健太郎の意味ありげな心象すら感じさせられる作品となっている。
ここではこれくらいにしておこう。その詩人が昭和39年10月21日、永眠。
数えてみると今年は没後50年ということになる。この郷土の生んだ詩人・ジャーナリスト鈴木健太郎という名を生涯忘れることはないと思う。

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