「ヒトラー:権力掌握への道」

NHK・BS世界のドキュメンタリー選「ヒトラー:権力掌握への道」をみた。正直、ショックだった。
ヒトラーについてはさまざまな書物で雰囲気だけは理解していたつもりだった。しかし、小生のヒトラー理解は無知に等しいものであった事がわかった。ナチによる一党独裁の体制を確立する前の1933年、つまり連立政権時代、首相に指名されたヒトラーが議会で演説している映像と音声が放映され、はじめて見る機会を得た。
これにはとくに驚いた。そこでヒトラーは「法の遵守」「平和主義の貫徹」を巧みに、高らかに演説しているのだ。ナチズムによる狂気じみたイメージは隠蔽されている。1926年には青年組織(ヒトラーユーゲント)を立ち上げ、既にプログラムは起動していたにも関わらず……。その背後には、大衆煽動の奇才ゲッベルスの巧みな演説原稿の作成があったと考えられるが、ユダヤ人排斥をもくろむ民族主義的純血主義の、錯誤的な嫌な臭いをヒトラーに感じていた国民も、この演説でふっと胸を撫でおろす事になる。しかし、そこから静かに、かつ急速にヒトラーの狂気が顕現化して行くことになるのである。

ヒトラーの演説で主張された「法の遵守」「平和主義の貫徹」は、あたかもどこかの国の首相が現在主張している「積極的平和主義」ときわめてその情感が似ている。だからこそ、驚き、ショックを感じてしまうのである。
演説からわずか5年後、1938年の「水晶の夜事件」を皮切りにユダヤ人に対する露骨な迫害・虐殺行為が開始され、それからさらに5年後の1943年、気がついたらホロコースト(ガス室)でのユダヤ人大虐殺(6百万人とも言われている)のみならず、1939年、第2次世界大戦という未曾有の悲劇が現実のものとなってしまったわけである。兵士、民間人あわせて5千万〜8千万人の命が奪われたとされている。
ヒトラーの広告宣伝担当であったゲッベルスは、「大衆を騙すのは簡単だ、嘘でも、自信ありげに百回繰り返して主張すれば、たいていは真実になるものだ」というようなことを何かに書いていたのを読んだ記憶がある。状況は静かに変動し、その背後には秘密警察が暗躍し、密告社会へと傾斜。狂気は正義を装って突然私たちを襲ってくるものなのかも知れない。

人が人を煽るときは、きわめてシンプルで、誰にでもわかりやすい言葉が鍵となっているようだ。しかもその言葉から心情的に、自分たちの方にのみ「正義」があることを感じさせ、信じさせなければならない。「平和」を守る為にやむを得ず戦うというロジックはその代表的な表現にほかならない。仮想の「敵」を設定し、その対象に憎悪の感情を向けさせるようにさまざまなトリックを張り巡らす。煽動された大衆はいつしか仮想の「敵」を現実的な「敵」として憎悪するようになる。「正義」は憎悪の感情をバネに一人歩きを始める。しかもそこには後戻りという選択肢は閉ざされている。それが戦争への目に見えないプロセスなのである。古今東西、性懲りもなく繰り返されて来た戦争だが、常に自分たちにだけ「正義」は存在している。

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