資料:雲井龍雄「討薩ノ檄」全文

長文だが米沢藩士雲井龍雄(本名:小島龍三郎)が列藩同盟の士気を鼓舞するために著した檄文の全文を紹介したい。

初め、薩賊の幕府と相軋るや、頻に外国と和親開市するを以て其罪とし、己は専ら尊王攘夷の説を主張し、遂に之を仮て天眷を僥倖す。天幕の間、之が為に紛紜内訌、列藩動揺、兵乱相踵(つ)ぐ。然るに己れ朝政を専断するを得るに及んで、翻然局を変じ、百方外国に諂媚し、遂に英仏の公使をして紫宸に参朝せしむるに至る。先日は公使の江戸に入るを譏(そし)つて幕府の大罪とし、今日は公使の禁闕に上るを悦んで盛典とす。何ぞ夫れ、前後相反するや。是に因りて、之を観る。其の十有余年、尊王攘夷を主張せし衷情は、唯幕府を傾けて、邪謀を済さんと欲するに在ること昭々知るべし。薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、内は百姓の怨嗟を致し、外は万国の笑侮を取る。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

皇朝、陵夷極まると雖も、其の制度典章、斐然として是れ備はる。古今の沿革ありと雖も、其損益する処知るべきなり。然るを、薩賊専権以来、漫に大活眼、大活法と号して、列聖の徽猷嘉謀を任意廃絶し、朝変夕革、遂に皇国の制度文章をして、蕩然地を掃ふに至らしむ。其の罪、何ぞ問わざるを得んや。

薩賊、擅に摂家華族を擯斥し、皇子公卿を奴僕視し、猥りに諸州群不逞の徒、己れに阿附する者を抜いて、是をして青を紆ひ、紫を施かしむ。綱紀錯乱、下凌ぎ上替る、今日より甚しきは無し。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

伏水(鳥羽・伏見の戦い)の事、元暗昧、私闘と公戦と、孰(いず)れが直、孰れが曲とを弁ず可らず、苟も王の師を興さんと欲せば、須らく天下と共に其の公論を定め、罪案已に決して、然る後徐(おもむろ)に之を討つべし。然るを、倉卒の際、俄に錦旗を動かし、遂に幕府を朝敵に陥れ、列藩を劫迫して、征東の兵を調発す。是れ、王命を矯めて私怨を報ずる所以の姦謀なり。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

薩賊の兵、東下以来、過ぐる所の地、侵掠せざることなく、見る所の財、剽竊せることなく、或は人の鶏牛を攘(ぬす)み、或は人の婦女に淫し、発掘殺戮、残酷極まる。其の醜穢、狗鼠も其の余を食わず、猶且つ、靦然として官軍の名号を仮り、太政官の規則と称す。是れ、今上陛下をして桀紂の名を負はしむる也。其の罪、何ぞ問はざるを得んや。

井伊・藤堂・榊原・本多等は、徳川氏の勲臣なり。臣をして其の君を伐たしむ。尾張・越前は徳川の親族なり。族をして其の宗を伐たしむ。因州は前内府の兄なり。兄をして其の弟を伐しむ。備前は前内府の弟なり。弟をして其の兄を伐しむ。小笠原佐波守は壱岐守の父なり、父をして其の子を伐しむ。猶且つ、強いて名義を飾りて日く、普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、王臣に非ざる莫しと。嗚呼、薩賊。五倫を滅し、三綱を破り、今上陛下の初政をして、保平(保元の乱・平治の乱)の板蕩を超へしむ。其の罪、何ぞ問わざるを得んや。

右の諸件に因って之を観れば、薩賊の為す所、幼帝を刧制して其の邪を済(な)し、以て天下を欺くは莽・操・卓・懿(王莽や曹操や董卓や司馬懿)に勝り、貪残厭くこと無し。至る所残暴を極むるは、黄巾・赤眉に過ぎ、天倫を破壊し旧章を滅絶するは、秦政・宋偃を超ゆ。我が列藩の之を坐視するに忍びず、再三再四京師に上奏して、万民愁苦、列藩誣冤せらるるの状を曲陳すと雖も、雲霧擁蔽、遂に天闕に達するに由なし。若し、唾手以て之を誅鋤せずんば、天下何に因ってか、再び青天白日を見ることを得んや。

是(ここ)に於て、敢て成敗利鈍を問わず、奮って此の義挙を唱ふ。凡そ、四方の諸藩、貫日の忠、回天の誠を同じうする者あらば、庶幾(こひねがはく)は、我が列藩の逮(およ)ばざるを助け、皇国の為に共に誓って此の賊を屠り、以て既に滅するの五倫を興し、既に歝(やぶ)るるの三綱を振ひ、上は汚朝を一洗し、下は頽俗を一新し、内は百姓の塗炭を救ひ、外は万国の笑侮を絶ち、以て列聖在天の霊を慰め奉るべし、若し尚、賊の篭絡中にありて、名分大義を弁ずる能わず、或は首鼠の両端を抱き、或は助姦党邪の徒あるに於ては、軍に定律あり、敢て赦さず、凡そ天下の諸藩、庶幾(こひねがはく)は、勇断する所を知るべし。

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