闘病中だった尊敬する神保亮さんがまさに年が明けた1月1日に逝去された。享年78とのこと。地域誌「やまがた散歩」が廃刊になり、「郷土の雑誌として何か創刊できないか」という八文字屋の社長五十嵐太右衛門さんの発案を受け、八文字屋本部で開かれた「やまがた街角」創刊準備のための第1回目のミーティング(2001年・春)ではじめて神保亮さんにお会いし、それから十数年、一方的にお世話になりっぱなしであった。その時(「街角」創刊のためのミーティング)、八文字屋に勤務されていた鈴木正人さん(彼が「ういずy」の編集長をしていた頃からの知人)が実務担当の任にあり、その彼に「編集を手伝って欲しい」と声をかけて頂けた事が幸運にも神保亮さんと親しくさせて頂くきっかけとなったのである。いよいよ、田中邦太郎さんを編集発行人として創刊が決まり、表紙画、挿絵をお願いするため刊行の度に何度となくお宅にお邪魔しているうちに、用件よりむしろ神保亮さんとお話しさせて頂くことの方が主目的のようになって行った。
その後、拙著の表紙画(『幕末奥羽の閃火・大活字版』)を描いてくださったり、いろんな話を通して、人間として大事な事を数えきれない程教えて頂いたように思う。終戦間もない満州での出来事、教師をされていた頃の高校生の美術に関する話、なぜ毎年のようにギリシャ旅行をするのか……等々。そんな話の端々から「ああ、人の痛みのわかる方だなぁ、なんかこころの温かい人だなぁ、どこまでも優しくなれる人なんだろうなぁ」という感触を神保さんから味わう事が出来たのである。どうもありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。どうか安らかに……。