上山の戊辰戦争関連史跡

1. 官軍墳墓 ……… 上山藩が奥羽鎮撫総督府の命令により、慶応4年4月23日、庄内藩征討戦に出陣。八聖山を拠として六十里越の警備の任についている。その作戦行動において、無念にも斥候(偵察)の任務に当たっていた菅谷友尉(19歳)、谷野廣平(17歳)2人の藩士を同日に失っている。その官軍兵士として没した2人の墳墓 =「官軍墳墓」が市内軽井沢の浄光寺境内に建っている。

官軍墳墓

2. 山村求馬墓碑 ……… 会津征討軍・庄内征討軍の解兵を経て奥羽諸藩ならびに北越諸藩は慶応4年5月に同盟を結成し、新政府軍と戦うこととなる。そして7月、状況は大きく変容する。奥羽越列藩同盟を突如離反した秋田藩を討つべく、慶応4年7月4日藩軍の再編を行い、上山藩は2個小隊を7月10日最前線の及位口へと進軍させた。このとき新庄藩兵は及位に在陣し、同盟軍と行動をともにしていたが、突如同盟を離脱、翌11日の未明になって新政府軍は秋田側の藩境を越え、及位口の同盟軍を急襲した。このとき新政府軍に内応した新庄藩兵も、一転新政府軍として、急襲を逃れる同盟軍を追撃したのである。この戦いにおいて上山藩軍の山村求馬総督は敵弾にあたって致命傷を負った。なお、浄光寺は上山藩を領した藤井松平氏の菩提寺であるため、この山村求馬のみならず藩士の多くはここに眠る。

山村求馬

3. 招魂碑 ……… 戊辰戦争(薩摩藩邸焼き討ち事件から西南戦争に至るまでの緒戦)で亡くなった上山藩士供養のため、明治19年(1886)9月に上山町によって建立されたものである。場所は月岡公園の北東部。招魂碑の揮毫は小池春蔭。

  • 薩摩藩邸焼き討ち事件:師岡弥三郎・成橋十内・鈴木角助・小川栄太郎・柏倉嘉傳治・早坂助市 ・渡邊藤五郎・金子与三郎・瀧口俊作
  • 庄内藩征討:菅谷友尉・谷野廣平
  • 北越戦線:布施利吉嘉明・森五郎蔵重好・中山周蔵政悌 (残念ながら・石曽根村 権五郎・下関根村  林吉の農兵2名の名は刻まれていない。当時の行政区分によるのかも知れない。)
  • 秋田戦線:山村求馬弘章
  • 西南戦争・増戸逸平治

招魂碑

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