「明治日本の産業革命遺産」考

このたび、世界遺産への登録をめざした「明治日本の産業革命遺産」のリストが公表された。筆者もそのこと自体はすばらしいことだと思う。だが、それをみて驚いたのだ。その驚きとは「横須賀製鉄所(造船所)」が含まれていないことである。誰が考えても、いの一番に挙げられてしかるべき産業革命遺産だろうに…。そのいっぽう、なぜか「松下村塾」が選ばれているという不可解なリストと言わざるをえない。「松下村塾」は無理矢理こじつけたりしないで素直に考えれば「政治的な意味を帯びた史跡=遺構」だとしても、やはり産業革命の遺構とはいえまい。そう規定するには無理がある。

明治以前に蒸気機関を据えた本格的な産業工場として成立した施設はどこかという問いを発したら、間違いなく総合工場としての「横須賀製鉄所(造船所)」以外に無いと考えるのが妥当であろう。慶応元年(1865)に着工・順次稼働し、明治2年(1869)にはほぼ(ドックはまだ掘削中)全施設がフル稼働していた。昨年世界遺産・国宝に認定された「富岡製糸場」は、この「横須賀製鉄所(造船所)」の影響を強く受けて、明治4年に着工、明治5年から稼働し始めた施設なのである。

では、なぜ「横須賀製鉄所(造船所)」がリストから外されたのだろう。真相は不明だが、現政権の頂点に鎮座されている方が「松下村塾」のある山口県(旧長州藩)の出身であることも関係しているのだろうか? 注意してみて見ると「明治日本の産業革命遺産」のリストの副題には「〜九州・山口と関連施設〜」とある。どうして地域を限定する必要があったのか、あまりにも露骨な偏向と言わざるを得まい。ましてや「横須賀製鉄所(造船所)」の企画立案は、当時薩長がもっとも恐れ嫌っていた小栗忠順という幕臣だったことも関係しているのだろう。当時の薩長勢力は開国(幕府の近代化路線)を阻止しようと、外国人や開国を主張する要人たちを問答無用で殺戮していた時代である。そんなトラウマも関係しているのかも知れない。もしそうだとしたら、何とも大人げない話である。これまで為政者が書き続けて来た「明治維新史」の歪んだコンセプトを堅持し、日本の近代化がすでに江戸時代末期から開明派幕臣たちの力で始まっていた、という紛れもない事実を、相変わらず隠し続けていたいという欲求の表れでもあるのだろう。

資料としてリンクを貼っておきますのでご覧下さい。下記サイトの「産業遺産国際会議の開催」の(5)記者発表資料をクリックすると一覧です。

「明治日本の産業革命遺産」

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