いくらなんでも…

誰でも、頭の中では「独裁専制政治」「報道規制」「表現の自由の弾圧」をあってはならないこととしてイメージし、とっくに理解もしているはずなのです。だけど、自分の言っていることや、やっていることが、実質的にそんな内容だとしても、「自分のやっていることはそうじゃない、あなたたちとは違って、もっと崇高な理念から提言している」と思ってしまいがちなのです。というより、それだけ自己相対化ができない人にとってはむしろ気づきにくい性質の問題だと言った方がいいかも知れないのです。そこがとても怖いことなのです。「偏向している新聞社2社を潰さないといけない」などと平然と言い放つ偏向そのものの人たちの感性、立ち位置を、本人たちが自分たちの傲慢さをはたしてどこまで認識し得ているのでしょうか。「右」だの「左」だのとイデオロギー的に糾弾しようとしているのではありません。「法治国家」のわが国で、合法的に運営している新聞社(メディアにかかわる全ての組織)であるかぎり〈社〉の理念もあるし、とうぜん〈記者たち〉のポリシーもあります。それを自由に表現することは平等に許されて然るべきです。自分たちの考えていることだけが正しいと思い始めるとそこに落とし穴が待っているのです。もう言い古されて垢にまみれている言葉にしか聞こえないでしょうが「ファシズム」の重要な要件のひとつを、彼らは十分に満たしていることを知るべきなのです。しかもそのような発言が飛び交う勉強会の名称が「文化芸術懇話会」というのですから言葉もありません、いやいや笑うしかないのです…。

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