隠れた名著がどんどん復刻されているようです。
その傾向の背景を考えると、これまでの「維新史」は怪しい歴史記述が含まれた「官許・明治維新史」だったということが次第に明らかになりつつあり、それに異議を唱える新しい視座や史観が徐々に市民権を得て来ていることを意味しているように思えます。つまり、先人たちの地道な研究=労苦が、ようやく陽のあたるところまで顔を出し始めているという感触にほかなりません。
奥羽の地に生まれた私たちの祖先に投げかけられていた「賊」というレッテル。その負の称号を無に帰すに余りある論考は、語られなかった歴史に光を当て、再度私たちの矜持を意識させてくれるように思います。
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少部数発行だった大正6年刊『慶應戊辰奥羽蝦夷戰亂史』佐藤浩敏著(東北史刊行会)の復刻版(平成20年:マツノ書店)をオークションにて落掌。その復刻版も限定400部とのこと、まさしく貴重な一冊です。表紙を開くと40数頁ほどの写真ページが続くのですが、そこには奥羽鎮撫総督府の九条道孝総督をはじめ、沢為量副総督、醍醐忠敬参謀の公家たちに続いて、奥羽越列藩同盟に加盟した諸藩の藩主たちの肖像が各ページに掲載されています。これ自体貴重な写真資料です。だが奥羽鎮撫総督府の世良修蔵(長州)、大山格之助(薩摩)両下参謀の写真掲載はありません。それには理由があって、著者・佐藤浩敏は、1000ページ余にも及ぶ本書の巻頭に配した《叙言》で次のように書いています。「戊辰事件に於ける所謂賊軍の心理状態を探求するに、皇室、錦旗、國憲等の如く、國家的に對敵せるには非ずして、専ら君側の奸を除く薩長征伐の一念に在りしなるものを以て、予は其本意を体現するが為に、所謂賊軍を地方名に呼び、彼の所謂官軍をば、是を西軍とせり」と。これを読めばすべてを了解出来るというものです。鎮撫総督府下参謀・世良修蔵(長州)、同じく下参謀・大山格之助(薩摩)に関しては「君側の奸」として認識していたということなのです。
またこの書を成すにあたり、著者は広く奥羽一円を中心に多くの方々の様々な資料提供を得ているようで、その協力者の一人としてなんと当時の上山町長・山内莞爾氏(明治44年〜大正7年まで在任)の名前も刻まれています。これには小生もさすがに興奮を覚え、歴史がさらに身近になる思いを味わっています。
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もう1冊は、昭和28年に千代田書院から刊行され、今年の4月に翻刻復刊版として批評社より出版されたばかりの『維新正観』蜷川新著(注記・解説:礫川全次)です。資料によると著者の蜷川新(にながわあらた/明治6年〜昭和34年)は日本の法学者、外交官で専門は国際法。父は旗本蜷川親賢、母は林田藩主建部政醇の娘はつ子、解明派幕臣として知られる旗本小栗忠順の義理の甥に当る人物とのこと。ふとしたことから出版元の批評社様よりご寄贈頂いたものです。
批評社が、自社のホームページに掲載している本書『維新正観』の内容紹介文をみると、次のようにあります。「『維新』の名は美しく世人には響くけれども、事実は極めて醜悪に満ちている。われわれが国定教科書で教えられたことの大部分は、偽瞞の歴史である。その真実の究明から、新日本の「民主」を推進したい。」(「序文」より)〜略〜「尊皇攘夷の旗の下、幕府の開国政策に無謀な異議を唱え、孝明天皇の毒殺をはじめとする奸策と狡知によって、倒幕・権力詐取に成功したのが、薩長の奸賊集団であった。幕末維新史の実相を、史実に即して、大胆にしてかつ独自の視点から『正観』した明治維新論。類まれなる名著の翻刻版である。幕末・維新史に関する文献は、様々にあり、さまざまな視点から分析されているが、この本ほど当時の事実に即して書かれた本は珍しい」と。
しばらくは、読書三昧の日々が続くこと間違いなしです。