孝明天皇の暗殺説

蜷川新著『維新正観』からもう一節。孝明天皇の暗殺説について述べられています。

◎「孝明天皇の暗殺については、永く在職した維新史料編纂係の人は、いずれもよく知っていた。植村澄三郎氏は、同係の一人であったが、此の事件に関し筆者に語って云うに、『岩倉は、この暗殺を行なった人であるが、初めは失敗し、二回目に成功した』と。由来世人は、案外よくこの事件を知っているのである。岩倉は、その妹を宮中に入れ、女官となし、その女官に命じて天皇を暗殺せしめた。そして、その女官は、薩人につれられて、何処かで殺害されたと伝えられている。…中略…植村澄三郎氏は、維新資料編纂の総裁であった金子堅太郎氏と一日ひそかに語り、『従来の虚偽史はそのままにしておき、総ての極秘の事実は、これを別の書物に編みて、秘密に、宮内省の倉庫に納めておくことにしたし』と、申し出たと筆者に語ったことがある。植村氏は又、暗殺された天皇に侍した旧典医の未亡人から、その事実を話されてすでに知って居られたという。さいきん瀧川政次郎氏が、その旧典医と目される菅修次郎氏の当日の日記を発表して居られる。」

事実なら驚きの一節です。

資料/著者:蜷川新(にながわあらた:明治6年〜昭和34年)は日本の法学者、外交官、大学教授。専門は国際法。日本赤十字社の顧問なども歴任。

植村澄三郎/維新史料編纂委員。金子堅太郎/『明治天皇紀』編纂局総裁、維新史料編纂会総裁を経て、帝室編纂局総裁。瀧川政次郎/昭和25年『日本歴史解禁』(創元社)でセンセーションを巻き起こした歴史学者。

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