天祥山保福寺に但木土佐を訪ねる

*P1040046*P1040040*P1040041昨日(7月17日)、あいにくの小雨模様でしたが、幕末奥羽における重要人物の一人・但木土佐の墓参のため天祥山保福寺(仙台市郊外)を訪れた。

戊辰戦争(慶応4年)で、米沢藩とともに奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩。そのなかでも但木土佐は仙台藩という枠組みを越えて、同じく仙台藩士の大槻磐渓、玉蟲左太夫らとともに、奥羽諸藩の連携を主張し、諸藩合議つまり「公論」によって時代を切り開こうともがき苦しんだ開明派の一人であった。また、会津救済を果たすべく奔走した人物でもあり、新政府軍との直接対決を回避しようと策を弄するも、会津救済に関する嘆願書はことごとく奥羽鎮撫総督府(とりわけ下参謀世良修蔵)の強硬な拒絶に合い、無念にも実ることはなかった。但木土佐は新政府の「奥羽皆敵」という眼差しを知るに及び、ついに和平工作を断念せざるを得なくなり、軍事同盟としての奥羽越列藩同盟をまとめあげていくことになる。薩摩・長州を軸とした西国雄藩のみによる政治的専横の排撃と《真なる尊皇思想》を主張し、最終的には新政府軍との交戦もやむなしと主張するに至る。降伏後、東京に護送され、麻布の仙台藩邸で斬罪に処せられた。享年53。諱は成行(しげゆき)。

《辞世の句》雲水の行衛はいつこ武蔵野のたた吹く風にまかせたらなん                 《参考》但木家は代々伊達家の重臣として奉行(家老)職をつとめて来た家柄。

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