しろいし「歴史フォーラム」行

今日(12月16日)は〈白石〉を愉しんできました。
くるみとごまダレもついた、
とても美味しい「うーめん」を味わったあとは、
戊辰150年をテーマにした「歴史フォーラム」へ。
会場に到着すると駐車場には宮城ナンバーはもとより、他県ナンバーの車も目立っていました。あたかも150年前の奥羽越の絆の広がりを彷彿とさせる、そんな幻想が去来してくるような雰囲気でした。
慶応4年5月に奥羽越列藩同盟の公議府が置かれた〈白石〉では、来年、さまざまなイベントが展開されるようです。
詳しくは…
「歴史フォーラム」ホームページ をご覧ください。
(もちろん会津も同様ですが・・・)

さて、開場前から長い行列。
500人収容のホワイトキューブ・コンサートホールは
開演時には席が埋め尽くされ、
あらためて「戊辰戦争」への関心の高さに、
驚かされた感じでした。

さて「歴史フォーラム」講演において印象に残った(というよりこれまで知らなかった)ことが、新たな発見として幾つかありました。
そのなかでも特に驚いたのは、元NHK理事待遇アナウンサー松平定知氏と大阪城天守閣館長北川央氏の対談のなかで、北川氏の口から語られた岩倉具視についての話でした。
「岩倉具視は、武力倒幕派の中心人物でありながら、奥羽越列藩同盟(反薩長勢力)にも薩長を討ち果たすべく《檄》を飛ばしていた」というのです。

残念ながらそれを裏付ける資料の出典までは明らかにはしてくれませんでしたが……。

いずれにせよ、参内を許されない下級公家のひとりに過ぎなかった岩倉具視ですが、孝明天皇の暗殺を謀った陰の人物=首謀者とみなされています。そのことから考えても、岩倉は武力倒幕=軍事クーデター後、天皇を中心とした政治、あるいは薩摩・長州を中軸とする政権の樹立を本気で考えていたわけではなかったようなのです。幕府を倒すために薩摩・長州を利用し、自らの野望のためだけに天皇暗殺(嫌疑濃厚)も奥羽越列藩同盟に対する《檄》も、なんらためらうことなくやっていたというわけです。おそろしや岩倉具視。

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