「西郷どん」の虚実断片

NHK大河ドラマ「西郷どん」は、創作であるかぎりにおいて史実として観てしまってはなるまい。とは言っても、「西郷どん」に限らず、大半の視聴者はあたかも史実であるかのような眼差しでNHK大河ドラマを愉しんでいることも事実であろう。それのみならず、主人公の神格化にあやかって、地域周辺の観光事業に利用するのも常套手段となっているのが現状である。

さて、「西郷どん」だが、愛加那との出会いを描いたシーンはとりわけ美化されていた印象がある。西郷の実像とあまりにもかけ離れているのではあるまいか。なぜなら罪人として流された奄美大島での西郷を研究した成果が、そう反措定して来るからだ。私たちの前にある研究とは、箕輪優著『近世・奄美流人の研究』(南方新社)という本である。

筆者の箕輪優氏は鹿児島県名瀬市(現奄美市)の出身。定年退職後に大学院に入り、島に流された罪人から奄美の近世史を研究する。調べた流人は300人以上。その中に西郷隆盛もいたという。

ドラマの「西郷どん」は、島民の温かさに触れて荒れた心を癒やしていく。子どもらには読み書きの手習いを。そしてサトウキビ栽培を強制され、搾取される島民の困窮を目にして義憤を感じる。敬天愛人の人柄を描いていたわけだ。

けれども、箕輪氏の著書をみると、西郷が大久保に宛てた手紙を解析した項に次のような記述がみられるのだ。

「島民を『けとう人』と呼んでさげすみ、交流も『難儀』『気持ち悪』いと書く。待遇の改善や転居を要求。維新後さえ、奄美の砂糖を引き続き専売制で管理し県の利益とせよ、と指示した」と。

ドラマで描かれている「西郷どん」のイメージとなんと乖離していることか。

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