混迷の出羽戊辰戦争 ⑵ 新庄藩

■ 新庄藩の同盟離反:常葉金太郎著『新荘藩戊辰戦史』大正12年刊から

「明治維新の動乱は新日本の隆運を打開したる国史上の一大関節にして、我が旧新庄藩また此戦役に参与して東北の舞台に於て枢要なる役割を演ずるの光栄を有したりき。」

これは最後の新庄藩主戸澤正實の孫にあたる戸澤正己が『新荘藩戊辰戦史』に寄せた序文の一節である。旧藩主の当主戸澤正己が文学士常葉金太郎に依頼し、「維新時に於ける我が祖父君勤王の精神と、領内士民諸子が奉公の事蹟」を、戸澤家の名誉と領民の矜持のためを意図して編んだと書かれている。在野の一研究者が、いかなる利害も有さず、史実をもとにして綴った性質の著作ではない。まずその執筆動機に一定程度バイアスが掛っていることに留意する必要があろう。

この種の著書の多くは「新日本の隆運を打開した」内乱として、わが国近代化のための必要不可欠な戦いであったと語る。しかしながら先入観にとらわれず歴史をみていくと、倒幕派のスローガンは開国阻止、つまり近代化を進めていた幕府の外交政策を否定するものであった。それはいみじくも《攘夷》という表現に象徴されている。ところが、倒幕後の主張はあたかもわが国の近代化は倒幕勢力によって開始されたかのような印象へと導く詐術であった。

言い方をかえれば倒幕戦争の正当性が主張のベースとしてあり、さらに倒幕軍に与して参戦した陣営は「勤王の精神」をことさらに鼓舞する。それは明治以降意図的に著されて来た官許歴史教科書へと引き継がれ、さらに倒幕軍=「勤王(尊皇)」という単純な自己規定も真実であったかのように記され語られていくこととなる。

現在に至っても相変わらず語られ続けているが、果してそうだったのだろうか? 。くどいが、ご存知のように倒幕派は「攘夷」=近代化阻止のために残忍なテロを繰り返していた復古=保守勢力であったことは歴史が証明している。

また、『新荘藩戊辰戦史』本文89頁には次のような記述がある。

「新庄藩が奥羽同盟に加盟したることは形式上より云て打ち消し難き事実である。その点は秋田を初め奥羽の列藩一として免るゝ所はない、但だ夫れは事情止むを得ざるが為の一時の方便であって精神的には飽くまで勤王を以て終始したと云うのである。」

如何にも苦し紛れの一文であると言わざるを得まい。藩主戸澤正實の命で白石に赴き盟約書に署名したのは家老(中老説あり)舟生源右衛門であった。舟生の立場を考えれば秋田藩の家老戸村十太夫同様、言葉を失ってしまう類の弁明にほかなるまい。

go top