姉歯武之進の眠る瑞満寺を訪ねて

今回の戊辰戦跡めぐりは、奥羽鎭撫総督府下参謀・世良修蔵(長州藩士)暗殺事件に加わった仙台藩士・姉歯武之進に照準を定め、昨日(9月4日)、墓参を果たすことが出来た。金成(かんなり)インターを下り、ナビ画面を信じながら、もうすぐ刈りとりの時期を迎える黄金色の稲穂がつづくのどかな田園地帯を走り、瑞満寺という立派な寺に到着。インターを下りてからはナビがなければ到達で …

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内村鑑三の脱亜批判

鎖国政策にピリオドを打ち開国へと舵を切ろうとしていた幕府の政策を「売国」「亡国」政策として激しくののしり、大老井伊直弼の暗殺をはじめ外国人殺傷や領事館焼き打ち、開国派公家や幕臣に対する凄惨なテロ行為を重ねていた攘夷勢力(水戸脱藩浪士・薩摩長州の激派)が、武力倒幕の謀略=戊辰戦争の勝利を経て政権を奪取するや、一転、「文明開化」だの「鹿鳴館」だのと、こぞって脱亜 …

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検証《戦乱、ついに奥羽へ》の流れ その2

◎奥羽諸藩の動向 会津救済にまつわる基本的な考え方(例:米沢藩の建白書) 《慶応4年3月下旬から4月中旬》「徳川慶喜が寛永寺に謹慎し、会津容保も国許で悔悟謹慎している今、皇意はすでに遠近に輝き朝憲凛然として行なわれている。願わくばこの際海の度量を以て不殺の聖徳垂れ、共にこれを寛典に処し、その宗社を存続させ、速やかに大旆を返さんことを」というもの。 米沢藩が周 …

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検証《戦乱、ついに奥羽へ》の流れ その1

慶応4年(1868)1月6日に鳥羽・伏見の騒乱が収束すると、新政府は同月10日「朝敵リスト」を公示、会津征討の準備にとりかかる。この流れをもって《戦乱、ついに奥羽へ》の端緒ということになる。 ◎主な奥羽諸藩の動向 1月17日 仙台藩に会津征討命令 その後一旦撤回 1月20日 仙台藩に改めて会津征討命令 1月25日 米沢・秋田・盛岡藩にも同命発令 2月 9日  …

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「明治維新と廃仏毀釈」、無事終了。

昨日(7月25日午前6時半〜7時半)、湯出山浄光寺(上山市)での「明治維新と廃仏毀釈」の講話、無事終了致しました。 遠く大石田から来て下さった方もおられ、恐縮至極でした。その大石田の織江尚史様(浄土真宗・浄栄寺のご住職)より、その日のうちに頂戴しましたコメントを、転載させて頂きます。 《岩井さん…………今朝はありがとうございました。初めて訪れた浄光寺さんで、 …

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天祥山保福寺に但木土佐を訪ねる

昨日(7月17日)、あいにくの小雨模様でしたが、幕末奥羽における重要人物の一人・但木土佐の墓参のため天祥山保福寺(仙台市郊外)を訪れた。 戊辰戦争(慶応4年)で、米沢藩とともに奥羽越列藩同盟の盟主となった仙台藩。そのなかでも但木土佐は仙台藩という枠組みを越えて、同じく仙台藩士の大槻磐渓、玉蟲左太夫らとともに、奥羽諸藩の連携を主張し、諸藩合議つまり「公論」によ …

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第1回【本の森講座】「異貌の維新」が無事終了いたしました。

おかげさまで、山形県立図書館主催 第1回【本の森講座】(2016・7・16)「異貌の維新」が無事終了いたしました。 予想を上回る方々が足をお運び下さり、研修室は満席+補助椅子という状況でした。そして、皆さん真剣に耳を傾けてくださり、楽しくお話しさせて頂きました。ご参加下さいました方々並びに主催者のスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。これを励みに「白河以北 …

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お礼と前触れ的PR

2016年6月10日 でお知らせ致しました講座につきまして、お礼と再度の前触れ的PRをさせて頂きます。 まず、先行した上山城での歴史講座「清川八郎暗殺と金子与三郎」(7月9日)を、無事つとめさせて頂くことが出来ました。いろんなイベントが重なり、しかも雨模様という悪条件であったにもかかわらず大勢の方にご参加頂き、ほんとうに感謝しております。主催者ならびにご参加 …

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読者様から重要なご指摘を頂きました。

小生のブログ「《史実》って不可知か?」(2014年3月7日付:犀のつぶやき)の内容につきまして、昨日(7月8日)以下のような、丁寧かつ親切なご教示を頂戴致しました。ずっと疑問に思っていた「建白書」の行方について、小生は2つの別個の建白書を同一のものとみなしていたことによる混乱であったことが判明しました。ご指摘下さり、なおかつご教示くださった匿名様に心より感謝 …

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