思いがけないエール

 山形新聞の夕刊にあった「文化欄」を楽しみにしていた者としては、まだまだ現在の朝刊一本のスタイルには馴染めない。一日の生活のリズムを刻んでいた朝刊と夕刊のほどよい関係が消滅してしまったいま、朝刊の中から「文化」関連の記事を探し出すのもままならない。どこにどの記事が掲載されているのか、うまく探せないのである。もちろん、紙面全部を読む習慣を持っている方からすれば …

続きを読む>

1万人超え

 NDソフトスタジアム山形にアビスパ福岡を迎え、昨夜は快勝。観客も1万人を超え上出来だった、と言いたいところなのだが・・・・相変わらずゲームへの入り方が悪く、ストレスを感じさせられるゲームだった。3点を先取したまでは良かったが、結局1点を献上、さらに終盤の猛追にはハラハラさせられた。だがGK清水健太のファインセーブもありなんとか凌ぎ、勝点3をゲット。順位を4 …

続きを読む>

〈絵〉や〈記号〉と思って……

 上山市民大学講座~上山城開館30周年記念事業~「飛脚が運んだ“たより”を読む」に参加させて頂いた。参加者が、自分の家の押し入れや蔵に埋もれている古文書を持ち寄り、それをテキストに講師が受講者に解読の方法やコツをレクチャーしながら解読してみせ、意味を考えたり時代背景を考察しようというもの。なかなかユニークな催し物だ。   1回目「増戸家書状封紙」   講師: …

続きを読む>

反省、そして修正

 コラムを毎日書こうと決意して1ヶ月。さまざまな課題が浮かんできた。毎日でも書きたいという意志が徐々に変化し、義務化し始めていることに気づく。本末転倒の現象が早くも訪れている。書きたいことを書くという気持ちが、書かなければならないので書くに変化しつつあることを感じとってしまったいま、修正しておく必要がある。  予測していたよりも若干早く反省の機会が訪れてしま …

続きを読む>

詩一篇「夏のノート」

  夏のノート   季語たちが   無精髭のようにうねっている   多彩な朝顔の色   葉陰に落ちる過激な濃淡   箸をおろすたびに薄まっていく   素麺のたれ   目を擦るごとに腫れ上がっていく積乱雲   きっとくるだろう涼やかな夕立を待って   ぼくは間もなく   ロンドンからの映像を枕に   うたた寝をするだろう     咄嗟に見え隠れする     ア …

続きを読む>

〈韻文〉と〈散文〉

 詩はあらゆる言語表現の様式の中で最高のものであると言ったのはたしか萩原朔太郎であった。もちろんその根拠も含めて『詩の原理』(1938年)という論考のなかにぎっしりと〈韻文〉と〈散文〉の比較、より象徴的に言ってしまえば〈詩〉と〈小説〉の言語表現としての差異として論じられているわけである。これを言語表現の価値の問題に置き換えてみれば、〈詩〉は自己表出性の高い情 …

続きを読む>

画家清野克己氏の記憶

日本抽象美術系の代表的団体であるモダンアート協会で設立当時から活躍した上山出身の画家・清野克己氏。なぜか最近よく生前の氏のことを思い出す。 「清野克己画業55年展」と題した展覧会が、1988年5月、山形美術館と上山城の2館同時開催で開かれた時、ポスターなどの制作依頼を受け何度かアトリエにお邪魔した。それと、また別に、雑誌のインタビュー記事掲載のための収録にも …

続きを読む>

どうした、モンテディオ山形

 勝てなくなってきた。しかも今シーズンのこれまでの結果をみると下位チームとの対戦成績がすこぶる悪い。昨夜の第23節、vs カターレ富山戦はスカパー観戦だったが、ちぐはぐなプレーのオンパレードだった。前半アディショナルタイムに突入してからの石川竜也選手のフリーキックで1点は取ったものの、後半に入ってからも感じていたモタモタ感を払拭できず、85分に追いつかれ、そ …

続きを読む>

歴史と〈史跡めぐり〉

 歴史の記述も、史跡も、ともにすべて過去を忠実に反映しているとは限らない。古文書にも政局や事実を紛らすために著されたものもあれば、史跡と言われているもののなかにさえ裏付けや実証のないものもあるといわれている。だから歴史をなぞってみる作業はややこしいし、これでもかという具合に突っ込んでみたくもなるのである。  ある程度資料を基に過去の出来事を調べて行くと、次の …

続きを読む>

文体からみえる人間性

 画家の香月泰男と同じように、シベリアのラーゲリで強制労働を科せられ、日本に生還したのち文芸批評家としてさまざまな優れた論考を著した内村剛介。彼は吉本隆明、磯田光一、桶谷秀昭、梶木剛等と同時代の文学者だ。その彼に歴史対話集『幕末は終末』(新人物往来社)という著書があったことは今まで知らなかった。文芸評論関連の著書はほとんど目配りしているつもりだったが、まさか …

続きを読む>

go top