画家清野克己氏の記憶

日本抽象美術系の代表的団体であるモダンアート協会で設立当時から活躍した上山出身の画家・清野克己氏。なぜか最近よく生前の氏のことを思い出す。 「清野克己画業55年展」と題した展覧会が、1988年5月、山形美術館と上山城の2館同時開催で開かれた時、ポスターなどの制作依頼を受け何度かアトリエにお邪魔した。それと、また別に、雑誌のインタビュー記事掲載のための収録にも …

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どうした、モンテディオ山形

 勝てなくなってきた。しかも今シーズンのこれまでの結果をみると下位チームとの対戦成績がすこぶる悪い。昨夜の第23節、vs カターレ富山戦はスカパー観戦だったが、ちぐはぐなプレーのオンパレードだった。前半アディショナルタイムに突入してからの石川竜也選手のフリーキックで1点は取ったものの、後半に入ってからも感じていたモタモタ感を払拭できず、85分に追いつかれ、そ …

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歴史と〈史跡めぐり〉

 歴史の記述も、史跡も、ともにすべて過去を忠実に反映しているとは限らない。古文書にも政局や事実を紛らすために著されたものもあれば、史跡と言われているもののなかにさえ裏付けや実証のないものもあるといわれている。だから歴史をなぞってみる作業はややこしいし、これでもかという具合に突っ込んでみたくもなるのである。  ある程度資料を基に過去の出来事を調べて行くと、次の …

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文体からみえる人間性

 画家の香月泰男と同じように、シベリアのラーゲリで強制労働を科せられ、日本に生還したのち文芸批評家としてさまざまな優れた論考を著した内村剛介。彼は吉本隆明、磯田光一、桶谷秀昭、梶木剛等と同時代の文学者だ。その彼に歴史対話集『幕末は終末』(新人物往来社)という著書があったことは今まで知らなかった。文芸評論関連の著書はほとんど目配りしているつもりだったが、まさか …

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ナスカの地上絵プロジェクト

「やまがた街角」最新号(9月1日刊)に掲載予定の座談会「ナスカの地上絵研究プロジェクト」(仮題)を昨日収録してきた。まさしく知らないことばかりで、「ナスカの地上絵」についてこれまでテレビや雑誌からの情報で得ていた自分のなかの既成概念の95%がデタラメであったことが判明。いささか、いや、かなりショッキングなものとなった。  山形大学人文学部の教授と学生が中心と …

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Tくん、前への予感

 いま巷では寺子屋ブーム再来の観を呈している。インターネットで検索してみるとたくさんの「講座」や「講演会」にヒットする。天童に住む知人Aは数年前NPOを立ち上げ「きっとためになる講座」を断続的に開催しているし、上山の知人Tくんも、同じようなコンセプトで一歩前へ踏み出そうとしている。  誰でもが参加できる、身の回りの勉強会。勉強会というと垢にまみれたイメージが …

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まちの景観

 私は小さい頃からどちらかというと方向音痴の傾向にあった。学生時代、東京駅や横浜駅の広大な地下街に何度も行っているが、その都度迷うありさまだった。考えてみると、碁盤の目のように区切られたほぼ同質な空間構成に対する認識が苦手だったのである。還暦を越えた現在、その方向音痴が直っていないばかりか、さらに悪化している。車の運転は比較的好きだが、極端に言えば、幾度とな …

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永山一郎詩集『地の中の異国』復刊!

 6月13日付で、その噂話を掲載させて頂いた、幻の永山一郎詩集『地の中の異国』が本当に復刊された。 B6判 全102頁 上製本 表紙カバーに銀の箔押しで、蔦谷榮三氏の筆によるタイトルが置かれ、平(ひら)全体には発行者である鈴木満氏の彫刻「Nへのオマージュ」の写真がマウントされている。  詩集本体はオリジナル版(季節社刊)の誤植を正した以外はそのままとのことだ …

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現在に繋がる時間

  幾時代かがありまして   茶色い戦争ありました  これは私の好きな詩人中原中也の「サーカス」という作品の冒頭だが、私たちの遙か彼方の祖先にまで続く時間の繋がりを感じさせる詩行である。  わが国の幕末期、薩摩藩に西郷隆盛という策士がいて、相楽総三ら攘夷派の浪士たちに武装集団「赤報隊」を組織させ、旧幕府陣営を挑発し、武力倒幕の口実をつくろうとさんざん江戸市中 …

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好奇心のこと

 ひとつのことを調べる。するとそれ自体についてはある程度の理解に至る。ところが、そのことを説明している内容に、新たに不明のことが紛れ込んでくる。もちろん、それらをも調べ始める。すると、ねずみ算的に不明のことが膨れ上がっていくことになる。知ることは、じぶんがいかに何も知らないでいるかを知ることでもあることに気づく。好奇心という名の自己析出作業と言い換えてもいい …

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