感謝。そして、ふと考えたこと

◎感謝  小雨降る中、大勢の方に参加して頂き、上山城歴史講座 vo.1「上山温泉〈発見〉考」を無事終えることが出来ました。拙い話ではありましたが問題提起くらいは出来たように思います。ありがとうございました。こころより感謝申し上げます。 ◎そして、ふと考えたこと  現在の上山の在りようにつながる町づくりの基礎を形成したのは《土岐氏》が入部してから、というのが『 …

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憲法記念日に思う

NHKスペシャル「憲法70年“平和国家”はこうして生まれた」は、すばらしい番組(仕事)だった。   昭和天皇の「平和国家建設への決意」=「勅書」からスタートした「昭和憲法」制定までのあゆみは、一部の人たちが主張するように一方的にアメリカに押し付けられたものではなく、2度にわたる世界大戦の悲劇を超克すべく構想された当時の日米の垣根を越えた英知の結晶であったこと …

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新刊図書2冊刊行

菊地隆三著『ぐうたら草』、武田和夫著『航跡V』の新刊2冊を刊行しました。どちらも個性豊かな著者によるエッセイ集で、滋味深いことばが綴られています。著者は偶然ながら両者とも医師。詳しくは右下の【新刊のご案内】のタグをクリックして覗いてみてください。

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講座のご案内「上山温泉〈発見〉考」

下記の講座でお話しさせて頂くことになりました。 「月秀上人」と「鶴」をキーワードとして成立している、上山温泉〈発見〉伝説に関する小生なりの考察です。まだまだ問題提起のレベルでしかありませんが、市の観光事業の根幹を為しているデリケートで大切なテーマです。より一層かみのやま温泉の歴史について、その認識が深まって行くきっかけにしていただければ望外のよろこびです。都 …

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全肯定も全否定も、違う!

いま「教育勅語」が話題になっている。この「教育勅語」自体は、わが国の戦争政策の反省をふまえ、戦後、国会において否定されたはずのものである。それがまたぞろ復古的に称揚され始めている。このような時代的な気分のなかで「教育勅語」をエモーショナルに全肯定しようと、全否定しようと、実は表裏一体のもので、どちらも危ういイデオロギーに対する信仰心のようなものであることを知 …

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やまがた再発見【栗山津禰】

長谷川謙三氏について紹介させて頂いてからほぼ一年、久しぶりに書かせて頂きました。 山形市出身の栗山津禰(つね)という女性についてです。 実は上山との関係もかなり深い人物です。 いや、むしろほとんど上山人と言った方が適切かも知れません。 藩校明新館で漢学を教えていた栗山道紹は津禰の祖父にあたります。 その栗山家は、藤井松平氏の家臣として代々仕え、 元禄10年藩 …

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連続講座「戊辰山形を学ぶ」のご案内

過日、山形市西部公民館様と西部公民館地区郷土史愛好会様より講演の依頼を頂きました。《地域史の視座ではなかなか捉えにくい幕末。長い時間軸で検証しないかぎり戊辰戦争の本質はみえてこない》という主旨でお話しさせて頂こうと考えております。小生の講演につきましてはあくまでも素人勉強の成果報告の域を出るものではありませんが、下記、企画のご案内をさせて頂きます。 なお、原 …

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改めて戦後70年を掘り下げる

300万人以上の犠牲者を出した忌まわしい太平洋戦争が終焉して70年を経た。とは言っても、太平洋戦争はなにも単発的な戦争であったわけではなく、軍閥が日清・日露・日中戦争へと突き進むことによって味わい続けた戦勝という陶酔感がもたらした悪夢のような最終局面であったと考えるべきである。しかもその起点はすでに幕末期の無謀な攘夷運動にその根っこを持っていた。 ともすると …

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上山温泉発見についてのノート・3

長禄元年説だが、これは安政2年に発行された『東講商人鑑』に拠っている。「出羽国村山郡上の山鶴脛の温泉の図」の見出し文に、「長禄元年開」とある。ただし長禄元年(1457)は実質的に3ヵ月しかなかったことから長禄2年説との関係は微妙。 長禄2年・3年説は、『上山市史』別巻下の「温泉町のにぎわい」の項をみると、文化9年(1812)頃には長禄3年説が定説であったとし …

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