村山民俗学会会報合本復刻版 第3集 平成29年2月8日発行 B5判272頁 定価/2500円(税別) 本誌の概要をお知りになりたい方は下記アドレスをクリックしてお進みください。 https://syoshi-sai.com/catalogue/study/
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続きを読む菊地隆三著『ぐうたら草』、武田和夫著『航跡V』の新刊2冊を刊行しました。どちらも個性豊かな著者によるエッセイ集で、滋味深いことばが綴られています。著者は偶然ながら両者とも医師。詳しくは右下の【新刊のご案内】のタグをクリックして覗いてみてください。
続きを読む下記の講座でお話しさせて頂くことになりました。 「月秀上人」と「鶴」をキーワードとして成立している、上山温泉〈発見〉伝説に関する小生なりの考察です。まだまだ問題提起のレベルでしかありませんが、市の観光事業の根幹を為しているデリケートで大切なテーマです。より一層かみのやま温泉の歴史について、その認識が深まって行くきっかけにしていただければ望外のよろこびです。都 …
続きを読むいま「教育勅語」が話題になっている。この「教育勅語」自体は、わが国の戦争政策の反省をふまえ、戦後、国会において否定されたはずのものである。それがまたぞろ復古的に称揚され始めている。このような時代的な気分のなかで「教育勅語」をエモーショナルに全肯定しようと、全否定しようと、実は表裏一体のもので、どちらも危ういイデオロギーに対する信仰心のようなものであることを知 …
続きを読む長谷川謙三氏について紹介させて頂いてからほぼ一年、久しぶりに書かせて頂きました。 山形市出身の栗山津禰(つね)という女性についてです。 実は上山との関係もかなり深い人物です。 いや、むしろほとんど上山人と言った方が適切かも知れません。 藩校明新館で漢学を教えていた栗山道紹は津禰の祖父にあたります。 その栗山家は、藤井松平氏の家臣として代々仕え、 元禄10年藩 …
続きを読む過日、山形市西部公民館様と西部公民館地区郷土史愛好会様より講演の依頼を頂きました。《地域史の視座ではなかなか捉えにくい幕末。長い時間軸で検証しないかぎり戊辰戦争の本質はみえてこない》という主旨でお話しさせて頂こうと考えております。小生の講演につきましてはあくまでも素人勉強の成果報告の域を出るものではありませんが、下記、企画のご案内をさせて頂きます。 なお、原 …
続きを読む300万人以上の犠牲者を出した忌まわしい太平洋戦争が終焉して70年を経た。とは言っても、太平洋戦争はなにも単発的な戦争であったわけではなく、軍閥が日清・日露・日中戦争へと突き進むことによって味わい続けた戦勝という陶酔感がもたらした悪夢のような最終局面であったと考えるべきである。しかもその起点はすでに幕末期の無謀な攘夷運動にその根っこを持っていた。 ともすると …
続きを読む長禄元年説だが、これは安政2年に発行された『東講商人鑑』に拠っている。「出羽国村山郡上の山鶴脛の温泉の図」の見出し文に、「長禄元年開」とある。ただし長禄元年(1457)は実質的に3ヵ月しかなかったことから長禄2年説との関係は微妙。 長禄2年・3年説は、『上山市史』別巻下の「温泉町のにぎわい」の項をみると、文化9年(1812)頃には長禄3年説が定説であったとし …
続きを読む湯上和気彦著『上山の湯と宿』について 『上山見聞随筆』から一旦離れて、湯上和気彦著『上山の湯と宿』を参考に僧月秀についてアプローチしてみたい。通説では肥前国(現佐賀県)杵嶋郡、あるいは同国杵島とだけあり、字・小字の記述はない。『大日本地名辞書』(吉田東伍著)によると杵島郡には杵島郷・島見郷・多駄郷・能伊郷などが存在するが、そのうちの何処が月秀の出生地であるの …
続きを読むかつて「羽州上山城下温湯記発見!」という記事(クリックでお読み頂けます)を、2015年4月2日付の当該ブログで書かせて頂いた。そこで、元禄15年(1702)時点で不明とされていた上山温泉発見の端緒が、明治35年(1902)脱稿の『上山見聞随筆』(菅沼定昭著)において、《鶴脛温泉の草創は長禄2年(1458)始めて発見す。白禿山は其源にして、山王山の麓に湧出るな …
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