〈往路〉と〈復路〉

 人間の生涯を仮に88年としてみる。そのうち55年は〈往路〉(イケイケ期)、33年が〈復路〉(マテマテ期)に該当するような気がする。無我夢中で己の世界を拡げ、突っ走るだけつっぱしるのが〈往路〉で、ある日、ふと老の感覚に直面し、彼岸へうっすらと死のイメージを抱きながら生き始める時間を〈復路〉と考えるとき、まさしく往きはよいよい復路(かえり)はこわい、なのだ。〈復路〉はそれまでの自分の生き様についての自省を含み、処理をまちがえば辛い半生へと転じる。逆に、〈復路〉に自覚的なテーマを見いだし、ポジテイブに時間を生きて行くことを選択し得れば、〈往路〉以上の充実感を得ることも不可能なことではない。
 小生もその分岐点を〈復路〉の側に二歩も三歩も踏み出していることは確かなようだ。

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