⬆️ 記事をクリックすると拡大表示されます。 〈参考資料〉山村求馬(弘章)について 小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、すかさず天正18(1590)年、徳川家康を関東へと封じた。その際、三河の松平一族(14松平氏)の中には家康の移封に帯同し、関東一円に移るものも少なくなかった。その一団に松平利長(としなが)を中興の祖とする藤井松平 …
続きを読む⬆️ 記事をクリックすると拡大表示されます。 〈参考資料〉山村求馬(弘章)について 小田原の北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は、すかさず天正18(1590)年、徳川家康を関東へと封じた。その際、三河の松平一族(14松平氏)の中には家康の移封に帯同し、関東一円に移るものも少なくなかった。その一団に松平利長(としなが)を中興の祖とする藤井松平 …
続きを読む歴史ロマンを新たなイベントにできないものでしょうか? 上山藩・金子与三郎と天童藩・吉田大八。 ともに家老にまで昇りつめた俊英。 幕末の上山藩士金子与三郎と天童藩士吉田大八は若い頃よりとても仲がよく、一緒に鍋をつっつきながら酒を酌み交わし時勢を語り合っていたという。ご存知の通り、両者は晩年にともにそれぞれの藩の家老に抜擢されたものの、無念の最期を遂げている。資 …
続きを読む2022年11月26日(土)に開催されました上山市立図書館主催の「ふるさと散歩」講演動画がフル・タイムでアップされました。下記URL(青色文字をクリックしてください)にて公開しておりますので、宜しかったらどうぞ。当日会場にて配布させていただいた資料もお読みいただけます。 ただし、約90分の講演ですが、大変申し訳ございません、途中1分ほど機材のトラブルがあり、 …
続きを読む上山市立図書館「ふるさと散歩」において講演を行うことになりました。テーマは、まだ誰も書いたり語ったりしたことのないと思われる「藤井松平宗家〈改易〉の謎」についてです。どこまで追えるのかこころもとないのですが、頑張ってみたいと思います。 日時は2022年11月26日(土) 14:00~15:30 定員40名程度(要事前予約) ところで、先日2022年11月5日 …
続きを読む◎書肆犀(しょしさい)刊行案内◎岩井哲:幕末史ノート 《目 次》 人物編 松平 忠固 〜 わが国近代化の礎をつくった老中 〜 赤松小三郎 〜 歴史から抹殺された立憲思想の先駆者 〜 小栗 忠順 〜 知力・胆力を備えたラスト・サムライ 〜 吉 田 大 八 〜 「勤王家」という符牒をめぐって 〜 玉蟲左太夫 〜 〈世界〉を見聞して来た仙台藩 …
続きを読む寛政年間(1789年—1801年)に江戸幕府によって編纂され、文化9年(1812年)10月に完成した1,530巻にも及ぶ大名や旗本の膨大な家譜集がある。いわゆる『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』である。それによると藤井松平氏は「14松平氏」の1つの譜代大名にかぞえられている。 その藤井松平氏だが、隆盛期(下総国古河時代=現在の茨城県古河市)に …
続きを読む山形新聞 2022年3月1日に(上)、2日に(下)が掲載されました。 VI 幕末史の落丁を埋める 雲井 龍雄(全) 「幕末史の落丁を埋める」シリーズ・バックナンバー I 赤松 小三郎 (2019年4月2日・3日 「山形新聞」) II 吉田 大八 (2019年8月7日・8日 「山形新聞」) III 玉蟲左太夫 (2020年1 …
続きを読む愚かなことだと解り切っていても始めてしまう…。 どうして、〝やらない〟という判断が難しいのだろう? それが戦争の恐ろしさなのかもしれませんね。 いかなる口上を積み上げても 戦争には正義も理性もありません。 あるのは暴力・破壊・殺戮であり、 もっとおぞましい狂気だけです。 そしてその狂気がつづくと、 善悪の感覚が次第に麻痺しはじめ、 熱狂していくのです。 命令 …
続きを読む◆お知らせ◆ 2月19日(土)予定の「上山城歴史講座」〝もう一つの藤井松平家、二人の俊英〟は、1月26日(水)〜2月20日(日)までの新型コロナ感染症に関する《山形県まん延防止措置》の期間と重なりますので、大変申し訳ございませんが中止となりました。 悪しからずご了承下さい。
続きを読む《ごあんない》 「もう一つの藤井松平家、二人の俊英」をテーマに、きたる2月19日(土)午前10時~11時30分 上山城郷土資料館にて講演させていただくことになりました。 「日米和親」「日米修好通商」両条約の締結にむけて数多の政敵と戦いながら、わが国近代化への道筋をつけた時の老中・松平忠固(ただかた)。そして慶応3年5月、2局制の国民議会構想のみならず議院内 …
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