金子与三郎と吉田大八

歴史ロマンを新たなイベントにできないものでしょうか?

上山藩・金子与三郎と天童藩・吉田大八。
ともに家老にまで昇りつめた俊英。

幕末の上山藩士金子与三郎と天童藩士吉田大八は若い頃よりとても仲がよく、一緒に鍋をつっつきながら酒を酌み交わし時勢を語り合っていたという。ご存知の通り、両者は晩年にともにそれぞれの藩の家老に抜擢されたものの、無念の最期を遂げている。資料によると1863(嘉永6)年、大八22歳、与三郎31歳のとき、上山城下金子の屋敷でふたりは「闇夜汁」を楽しんでいる。その鍋は金子の屋敷のすぐ西側をながれる小川からとったフナ、ナマズ、ドジョウ、カエル、ヤモリ…その他下手物もふくめたさまざまなものが食材だったとか。部屋の明かりを消してどんどん鍋に入れ、おおいに盛り上がったというのだ。
お互い、藩の重臣でもあったわけで、このエピソードから上山市と天童市を結んだ「闇夜汁」イベントを考案してみてはいかがだろうかと思った次第。
伝記には誇張や粉飾も多々あるのだろうが、実際吉田大八はしばしば兄のように慕っていた金子与三郎を訪ねていたようだし、大八の妻は上山藩家老渡辺五郎左衛門の娘(養女)せき。武術もおなじく上山藩士の増戸庄右衛門に師事していたことから考えても、リアリティがあり史実であったと考えたれる。町おこしイベントとしては裏付けもあり願ってもない素材のように思える。さらに山形藩家老水野三郎右衛門との繋がりをも検証し、うまく広域化できれば、秋の大芋煮会に次ぐ山形の新たな風物詩の創出にも結びつくかもしれない。

もちろん下手物うんぬんではイベントとしてとても一般化できないので、地域の食材を意識しながらいろいろメニュー的に熟考する必要があるのは当然でしょうけど……。

 

 

 

 

 

 

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