批評は自己責任において自由に表現されてしかるべきものだ。ただし、書き手の意識し得ない所で、そのことによって傷ついたり、思い悩んだりする人が生まれるとすれば、批評的言語でさえいつでもひとつの暴力になり得る。ありとあらゆる配慮をもってするのが批評ということになろう。もちろん、批評は作品自体に向かって放たれる言語で、人格を攻撃するものでない以上、批評的言語の抑圧は退廃につながっていく。ここが底なしに難しいところといってよい。
中傷は、意図的に貶めようとして吐かれることばの典型。そこにはまず憎悪ありき、なのだ。
批評と中傷は読み方によっては確かに似てくる場合もある。しかしそれを峻別して読み分ける行為もまた内なる批評行為、そして批評力といってよいもののような気がする。