アスリートたちの憂鬱

ソチ・オリンピックもいよいよ大詰め。さまざまな種目で、アスリートたちは最高のパフォーマンスを実現すべく必死に競技に挑んでいる。素直な気持ちで観戦すればテレビの画面からでも純度の高い感動は確実に伝わってくる。一回限りの勝負が、4年間かけた努力の総決算、その表現の唯一の場であるという、私たちが味わうことなどとても出来ないプレッシャーに挑む勇姿。その重圧とアスリートたちのメンタルな格闘が、肉体の中心から放射線状の感動として閃光のように私たちにむけて放たれてくると言ってもいいような気がする。

ところが、そんな選手たちの想像を絶する緊張感を知ってか知らずか、いわゆるメダル獲得数の視線のみで、デリカシーの無い言葉を弄する事例が氾濫しはじめていることは残念だ。「銀とか銅メダルをとったからといって浮かれているんじゃない、それは早い話負けなのだから……」と、金メダル以外に意味が無いかのようなお偉い方の発言。パフォーマンス自体の内容は語られないまま、すべてはメダルの問題のみに還元されてしまうのだ。それもスポーツを〈国威発揚〉の道具としたがっている人間たちのつぶやきであるに違いないが、スポーツをスポーツとしてその躍動感や競技自体の密度を観戦したいと思っている小生にとって、どう考えても勘違いとしか思えない。

今日のニュースであらたに加わった身震いする程冷酷な言葉を引用しておきたい。

    女子ショートプログラム(SP)で16位だった浅田真央を「見事にひっくり返った。あの子、
    大事なときには必ず転ぶ」と指摘した。

これは、今日(2月20日)東京五輪・パラリンピック組織委員会会長でもある森喜朗元首相が福岡市で講演した言葉だそうである。本人が聞いたら計り知れないダメージになったろうし、開いた口がふさがらないとはこの事である。こういう御仁が東京五輪・パラリンピック組織委員会会長でいいのだろうか。なにより、アスリートたちとの間に信頼関係が構築されるとは思えないのである。

go top