千葉卓三郎の先見性

昭和43年、五日市(現在の東京都あきる野市)深沢家旧宅の土蔵より歴史学者色川大吉等によって発見された通称「五日市憲法草案」。この草案を作成した千葉卓三郎は嘉永5年(1852)生まれの仙台藩士で、文久3年(1863)~明治元年(1868)の5年間、仙台藩校養賢堂にて学んでいる。戊辰戦争白河口の戦いに参戦。仙台藩の降伏とともに、さらなる学求を志し、桜井恭伯に浄土真宗、魯人ニコライにギリシャ正教、安井息軒の門を叩き儒学などを学んでいる。
その後自由民権運動に身を投じつつ明治13年(1880)11月第2回国会期成同盟大会(私擬憲法草案作成決議)の運動に参加。
明治14年(1881)「五日市憲法草案」を起草。
この憲法草案は明治22年(1889)公布、翌年施行された明治憲法の理念より、自由権、平等権、教育権、地方自治権、国会の天皇に対する優越権等においてむしろ現行の昭和憲法に近い画期的なものであった。
これだけのものを残しているにも関わらず、植木枝盛らに比べて無名である。
もちろん明治新政府(薩長政権)は討幕運動を推進していた時点からさまざまな偽勅を弄し、幼い明治天皇を政治利用していたことは周知である。したがって天皇は元帥でなければならず、絶対君主制に近い政体で富国強兵を実現して行く必要があった。それが海外拡張主義思想と結びつき、軍国日本のエンジンとして、最悪のシナリオを歩んで行くことになるわけである。

◎明治帝国憲法と真逆に近い内容を持つ、千葉卓三郎の「五日市憲法草案」の条文を抜粋してみる。
「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ、他ヨリ妨害ス可ラス、且国法之ヲ保護ス可シ。」(45)
「凡ソ日本国民ハ日本全国ニ於テ同一ノ法典ヲ準用シ、同一ノ保護ヲ受ク可シ、地方及門閥若クハ一人一族ニ与フルノ特権アルコトナシ。」(48)
「子弟ノ教育ニ於テ其学科及教授は自由ナルモノトス、然レドモ子弟小学ノ教育ハ父兄タル者ノ免ル可ラサル責任トス。」(76)
「府県令ハ特別ノ国法ヲ以テ其綱領ヲ制定セラル可シ府県の自治ハ各地ノ風俗習例ニ因ルモノナルカ故ニ必ラス之ニ干渉妨害ス可ラス其権域ハ国会ト雖モ之ヲ侵ス可ラサルモノトス。」(77)
「民撰議院ハ行政官ヨリ出セル起議ヲ討論シ又国帝ノ起議ヲ改竄スルノ権ヲ有ス。」(86)

◎全条文を読みたい方は
五日市憲法草案全条文

 さらに調べてみると、千葉が学んでいた時期の養賢堂の指南頭取こそ玉蟲左太夫(後の奥羽越列藩同盟軍事局副頭取)であったのだ。これは憶測になるが、千葉卓三郎が起草した憲法草案の骨子は、当時の我が国の状況を考えれば、渡米によってアメリカ共和政治の理念に触れてきた玉蟲左太夫の影響がなかったら考えられないことなのではなかろうか。

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