新しい視座の「明治維新」論

まったく新しい視座から、驚きに満ちた幕末維新論を展開されている原田伊織氏の新著が刊行され、さっそく購入。前著『明治維新という過ち』の改訂増補版である。

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「史実を知ろうとする場合には、細心の注意が必要である。近年は誰もが一次資料だ、二次資料だと騒ぎ立て、一次資料というだけで無条件に信じ込む単純さが幅を利かせているが、私はもともと、書き物だけが資料だとは思っていない。京都・八坂通りの夕靄の中に佇めば、会津藩士や新撰組隊士が腰をかがめて、長州のテロリストを求めて疾駆する姿が眼前に浮かび上がるだろう。二条城周辺の闇は、京都見廻組の幕臣に暗澹たる思いを強いたことだろう。そして、蛤御門に残る弾痕は、無防備な御所が紛れもなく天皇に殺意をもつ者によって砲撃されたことを訴えている。私の生地・伏見界隈では、豆腐屋のラッパさえもが騒乱の中で愛した男たちの非業を嘆く女郎たちの泣声のように聞こえる。歴史を皮膚感覚で理解するとは、その場の空気を感じとることだ。歴史を学ぶとは年号を暗記することではなく、往時を生きた生身の人間の息吹を己の皮膚で感じることである。資料や伝聞は、その助けに過ぎない。」(「はじめに」より)

誰よりも一次資料や二次資料の大切さを理解し、その精読をもとに執筆されている著者がこう書くとき、その説得力は並大抵のものではない。そして原田氏は薩・長・土・肥によって暴力的に解体されてしまった江戸時代の社会についても次のように書いている。

「自分たちの過去、その直近である江戸期社会とは、国際的にみても真に高度な独自の文明システムを創り上げた社会として、近年になってようやく内外の一群の学者たちによって「江戸システム」として研究・分析され、人類史的にみても驚くべき高度な社会システムであったとして評価されるようになってきた。」(「明治維新」というウソ」より)

その成熟した社会システムを、尊王攘夷を旗印とする過激なテロリストたちが破壊。そればかりではなく俄仕立ての「水戸学」を頼りに「大和への復古」の標語のもと「廃仏毀釈」を叫び、日本文化の破壊行為を恣にしたあげく、一転、欧化主義、そしてアジア蔑視=富国強兵を推進しながらの海外拡張主義=帝国主義で突っ走り、ついには日本を滅ぼすに至る。その源流には吉田松陰の思想があり、その影響下で蠢いた薩・長・土・肥による武力倒幕という歴史的な過ちがあった。それら数々の忌まわしき歴史的な事実と、そのプロセスを隠蔽するために書き上げられた神話こそが「明治維新史」であったと論ずる。勝者=明治政府によって徹底的に実践されてきた「官軍教育」の影響は、歴史的事実を秘匿し、認識を曇らせ、現在に至るまで「幕末の志士たちの英雄伝説」や「封建社会の打破から近代日本の建設」などという耳障りのいいキーワードとともにそのイメージは引き継がれている。その虚史=捏造された「明治維新史」を払拭しない限り、現在の日本の閉塞感は払拭されず、未来への展望も持ち得ないと著者は主張する。そして「あとがき」に原田氏は〆の言葉として書いている。

「今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減気づくべきであろう。その為には、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。」

もちろんいろんな読み方があるが、是非、手に取って頂きたい本の一冊である。

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