鹿の肉は誰が運んだのか?

『土方歳三戊辰戦記』(田中真理+松本直子共著:新人物往来社/86〜87頁)に興味深い場面が記されているので紹介してみたい。各地を転戦してきた戦士たちが慶応4年(1868)9月3日仙台城に集結し、歴史的な軍議を迎える直前(8月下旬から9月2日まで)の状況が描かれている。

「錚々たる人物が集まったが陸路をやってきた人々はつまるところ逃げて来たのだから、いずれも戦いに疲れてがっくりきていた。ある日、列藩同盟公議所の出張員として仙台に滞在していた上山藩士が、前線に出ている同藩の者から鹿の肉を贈られて、『私一人で食べますには些と多すぎますから、隣の宿に止宿して居りました会津藩の諏訪常吉といふ人を招きまして、倶に食せんとしました所が、常吉が此鹿の肉を見まして、是れハ珍味である、どうか人見勝太郎にも食べさせては呉れぬか、同人は幕臣中頗る有名の人であるが、今は数カ所の戦争に疲れ果て、我が隣宿に居るが、誠に気の毒の体裁である、此肉でも食わせて慰めてやり度いと申しますから、それハ結構である、早くお召びなさいと申しました』というほどだから、遊撃隊長として勇名をはせた人見勝太郎もあわれなものである」と。

このあと9月3日に仙台城内で開かれる軍議に参加する上山藩士は和泉百輔であったため、鹿の肉を周囲に振る舞ったのはおそらく和泉百輔と考えられる。では、前線からその肉を持ち込んだ上山藩の人物は誰だったのだろう? 秋田方面で戦っていた人物か、はたまた福島方面で活動していた人物なのか、これ以上の資料はなく現在のところは不明であるが、興味は尽きない。

ちなみにその軍議に参加した主な人物は次ぎの通りであった。

幕臣榎本釜治(次)郎、松平太郎、渋澤成一郎、仏人ブリュネ、同カスヌーフ、小杉雅之進、徳山四郎左衛門、長井玄蕃、人見勝太郎、岡田斧吉、土方歳三、田島金太郎(中略)、仙台藩から8名、会津藩から5名、庄内藩白井吉郎、上山藩泉水百輔、米沢藩小見鍋蔵、山形藩青木市之進、南部藩二橋右衛門等々の名前が記されているのである。

ところで、徳山四郎左衛門とはほかでもない板倉勝静の変名である。

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